願行寺 | くまさんぽ

くまさんぽ

FMとうみというラジオ局でパーソナリティしてます
映画や日本史が得意分野です♪
真田3代戦国歴史検定1級合格しました
ブログは完全趣味ってますヽ(´▽`)/

上田城築城の際、東御市から移されたお寺たくさんあります。

ここもその1つ。

 

11月19日㈯17時~[attention!]
担当は田中博文、通称{くま}です。
この番組では毎週《くまさんぽ》と称し、いろんな場所に訪れるコーナーがあります。
2016年は真田yearという事で、真田家に関係する場所にattention!

本日の散歩はこちら→《願行寺》
上田城が築城された時に、昌幸公は東御市の海野郷からたくさんの人や店、神社仏閣を上田市に移しました。このくまさんぽでも八幡社や海善寺など、上田に移築した寺を散歩してきましたが、本日もその移築したお寺【願行寺】を散歩してきました。


場所は上田市海野町商店街の東側にあります。上田城からまっすぐ東に来た場所です。
この願行寺、元は東御市本海野字岩下にあったそうです。
千曲川に夜、光が現れるのを近隣の人々が不審に思い探すと、水底に一光三尊の阿弥陀如来がおられたので、この仏を取り上げ領主滋野氏に献じたそうです。滋野氏惣領の海野氏が寺を建立したのが始めだそう。むか~し聖徳太子が48体の一光三尊の阿弥陀如来を鋳造した時に善光寺如来が鋳形に移り鋳写した随一の仏だとか(;゚Д゚)!
その後海野氏は村上&諏訪&武田連合軍に敗れた時にこの願行寺も灰になってしまいますが、しかし当時の住職が本尊だけは守り仮のお堂を建て守り、昌幸公が上田城築城の時に上田城下町に再建したそうです。そしてお兄ちゃん、信之公により現在の位置に移されたそうです。その後、上田丸子電鉄丸子線の発着駅として「上田東駅」が開設され新道開発にともない四脚門も町並に合わせて、現在の本堂東側にある寺の入口へ移されたそうです。この四脚門は上田市の指定文化財になってます。


今もお寺の敷地の真ん中に道が通っていて、本堂の道を挟んで向かい側に墓地があります。


江戸時代初期に真田氏は上田から松代に転付されます。この時に上田のお寺も松代に移築等されました。この願行寺も松代に移されたそうです。
真田氏が治めていた上田市はその後、仙石氏→松平氏と移り変わり明治を迎えました。
上田市の願行寺は松平氏の菩提寺として栄えていたという事です。

本日のくまさんぽ
上田市願行寺でした。