今週末の土曜日はいよいよ『スーパーロボット魂 宇宙編』である
今年はいつになくたくさん予習した
予習をがんばった
予習にもいろいろあると思うが、今年頑張ったというのは、原作のアニメを見ることである
昔のスパロボアニメは4クールが当たり前というのが多いので、この作業は案外たいへんであった
その代わり、カラオケで歌の練習はほとんどしなかった
コロナショックとアフターコロナのインフレでカラオケボックスはえらい高くなってしまった
ちょっと足が遠ざかり気味なのである
私の住んでいる近所にはカラオケボックスもないので、東急線で5駅ほど乗っていくのである
その東急線の運賃もコロナのせいで(?)えらい高くなってしまったので、最近はよっぽどな用事がないと電車にも乗らなくなったのである
114円だった回数券が廃止になり、PASMOで180円になってしまったのである
イメージとしてはマークナルのハンバーガー、チキンクリスプにイメージが近い
まあカラオケに行けば行ったで楽しいのであるが、別に歌うのが嫌いになったわけではないのであるが、なんとなく足が遠ざかっている
コロナで自粛しているうちに依存症が治ってしまった的なやつなのかもしれない
職場では以前はよく飲み会をやっていたのであるが、コロナ騒ぎが終わってもやっぱり飲み会はほどんどやらなくなったのと同じだと思う
特に今回の予習で印象深かったのは、『マクロスII』と『エルガイムIII』
尺の短いOVA作品で、かつて1回だけ観て、それきりになっていた作品である
じっくり落ち着いてみたらすごくよかった
『マクロス7』のOVAと劇場版もチェックしようと思っていたのであるが、お手頃な値段で入手できなくてあきらめた
『ダイナマイト7』はなんとか頑張ったほうがよかったかもしれないと後悔している
来年はdアニメストアに加入しようと思った
『マクロス7』は今年30周年だそうで、BDボックスが出るのではないかと期待している
30000円くらいで売って欲しいと思うのだが、たぶん60000円くらいはするのだろうなあと思い、ちょっと悲しい
サウンドフォースのプラモデルもHGで出してくれるんじゃないかと思う
最近のHGの値段はよくわからないが、ひとつ5000円くらいで勘弁して欲しいものである
『ククルス・ドアン』も『ジ・オリジンIV』の円盤を入手してじっくり見返した
丁寧な作画でこれもやっぱりよかった
主題歌も歌詞をしっかり読んで理解して好きになることができた
森口さんや福山さんの歌は、水木さんやささきさん、堀江さんの歌と違って好戦的でないのでずっと苦手だったが最近、戦いを否定するようなの歌もだいぶ平気になってきた
年をとったのだなと思う
そもそも論として『宇宙編』で披露される歌の歌詞は、冨野監督の手によるもの以外すべて戦闘的ではないと言っても過言ではない
一般的なミュージシャン=作詞家というのは、ラブ&ピースが好きというか、戦争が嫌いというか、反戦歌が大好きなものらしい
せっかくの戦いもののアニメなのに、戦意高揚系を主題歌にしないなんて狂っていると思う
しかし戦争アニメや戦争漫画の原作者ではない、ミュージシャン=作詞家に依頼してしまうとこういう結果になるのだろうなと思う
なぜならミュージシャンは一般的に戦争が大嫌いだからである
だからだと思った
HR/HMが大衆音楽のメインストリームになれないのはそのせいだと思った
おそらくミュージシャンだけでなく、一般の音楽ファン、音楽リスナーも戦争が嫌いで平和が大好きなのだろう
人はいつから戦いが嫌いになったのであろうか?
戦わなくては欲しいものは手に入らないし、大切なものも守れないのに
人は無から有を作り出すことはできない
だから欲しいものがあったら他者から奪わなくてはならないのである
その他者がその財産や生命を気持ちよく譲ってくれればよいのであるが、それはなかなか難しいことであろう
だから人は欲しいもののために心ならずも他者を攻撃しなくてはならないし、逆に収奪を目的として攻撃されることも当然あるのである
暴力的な争いはイヤなものではあるけれども、人が全知全能となり無から有を生み出せるようにならない限り、戦争の呪いからはけっして逃れられないのである
今はミュージシャンも一般人もマリファナを吸って幸福になるのが好きだけれども、そんなのはしょせんただの現実逃避であり、無意味なことなのである
森口博子が歌う『ジ・オリジンIV』の主題歌もだから私はすごく嫌いだった
「撃て撃て撃て撃て、撃ちまくれ!」みたいな歌詞がよかったのである
しかし作品をじっくり鑑賞して、あまりに激しい戦いと、絶望的な甚大な犠牲のことを思うと、こういう軟弱な他力本願的な歌も逆にせめてもの慰めとして必要なんだなと思えるようになった
パニック、自暴自棄になるよりも、神様、信仰にすがって嵐が去るのを耐えて待つほうがずっとマシなのである
ましてや人類の暴力がまるで通用しない敵に対して、歌ですべてを解決してしまうバサラさんにはもう尊敬しかない
『パトレイバー』に至っては戦争ですらないんだから、むしろ撃っちゃダメだ
東京の街中で流れ弾が危ないからね
最近、『ゼンカイジャー』の再放送も見ているのであるが、(善いものの登場人物たちも全然気にしていないが)毎回毎回かなり街を破壊している
戦隊ロボはかなり罪なき民間人を殺してしまっていると思う
真剣に見ているとやっぱり気持ち悪くなってしまう
戦争、戦いはやっぱりイヤなものである
戦隊ロボの操縦者のように殺す側の人間は気分が高揚して楽しいのだろうが、殺される側の人間にとってはとても切ないことなのである
ただし戦い、殺し合いは必要悪なので、そこから逃げてはいけない
食物連鎖の頂点に立ち、医学や衛生学を応用できるようになった人間には天敵がいないのだから、殺し合って頭数を減らし続けていかないと地球を食いつくして自滅してしまうからである
戦うだけでもダメだし、逃げるだけでもダメ
この矛盾を真正面から受け入れてこそ、人は止揚を得て進歩できるのである
否定は未来に何も生み出さない
その答えとしてはさっさと限りある地球から巣立ち、宇宙に進出することである
宇宙に出ても、(地球の重力に影響される)地球圏に留まり続けていたら殺し合いは終わらないらしい
暖かい肉体を捨てて、脳組織を永遠に冷たく生かし続ける機会の身体を手に入れなくてはならないのだろう
ワープ航法とかフォウルド航法とか実際にはあり得ないのだろうから、1万光年先の世界には亜光速で1万年くらいかけて移動しなくてはならないのである
肉体を不老不死化することは難しくないだろうが、暖かい血の通った肉体では脳が温かすぎて、とても全知全能の計算速度を得られないだろうから、脳を冷たい状態で維持できる生命活動をしていない機械の身体が必要なのである
そもそも無重力で放射線だらけの宇宙で生身の体では生きていくこと自体が不可能なのである
片道1万年の旅行なんて退屈過ぎて耐えられないものであろうか?
それは問題にならないと思う
なぜなら人間は悠久の退屈にもすぐ順応してしまうからである
寿命を克服してしまっているのであれば、なんら焦るこもなく、ぼーっとしているうちにすぐ1万年でも100万年でも過ぎてしまうであろう
50年とか100年とか限られた寿命しか持っていないから、時間を無駄遣いするのがもったいないだけであって、永遠の時間を生きられる存在にとってはなにももったいなくはないのである
というわけで、その土曜日の『スパロボ魂 宇宙編』の前哨戦として、前の日曜日、新宿ReNYで行われた福山芳樹さんのバサラ曲、FB曲しばりのアコギライブを聴きに行ってきました
とても感動的で元気と勇気が湧き出てきました
バサラを演じる福山さんの歌と演奏を聴くだけじゃなくて、観客にもちょくちょく歌わせてくれました
歌の力って本当にすごいなと思いました
歌や音楽を聴いたり、歌ったりするとなぜか体調と気分がよくなります
なぜでしょう?