これではだれでも勘違いしそう。
なんで何の疑問の念ももたずにここまで平気で広告塔をつとめるか、
献金、謝礼、票。ですか。もともとはキリスト教の亜流だったといわれている。
教義に賛同する、歴史を紐解くなど、積極的には関与しない、ただフォトシュートの現場で愛嬌を振りまく
それだけやればいいと誘われた、おじいさんもこんなことくらいならやっていた、全く無抵抗に吸収していったのだとしたら。
あべさんではなく、あそうさんが標的になっていてもよかろうものがやはり、このプレゼンスだからかわりにはなりえなかった、
しかも全国応援遊説これもずっと少なかった。必然だったということのようだ。
桜の会などよくツーショットで画面に収まっていたが、この表紙はかれ単独。夫人は距離を置いていたのだろうか。
それとも何らかの形で親族から警告されていたのだろうか。その辺は全くわからない。