2022年11月14日
*花冷えや吾の腕にすがりつき病後の妻は歩み初めたり
*生まれ来しばかりの孫の指さする病みたる妻の手はやせこけて
*癒えたれば旅したき地を語り合ふ術後の妻と春の炬燵に
退院して間もなく次男に子供が生まれ、産院に顔を見に行った。
赤ちゃんを抱く体力はないが、愛おしそうに指をさすっていた。
大手術を乗り越えて、日薬のように日に日に健康を回復するだけと思っていたのだが。
2022年11月14日
*花冷えや吾の腕にすがりつき病後の妻は歩み初めたり
*生まれ来しばかりの孫の指さする病みたる妻の手はやせこけて
*癒えたれば旅したき地を語り合ふ術後の妻と春の炬燵に
退院して間もなく次男に子供が生まれ、産院に顔を見に行った。
赤ちゃんを抱く体力はないが、愛おしそうに指をさすっていた。
大手術を乗り越えて、日薬のように日に日に健康を回復するだけと思っていたのだが。
2022年10月31日
*吾の手取り「洗ひ物には手袋を」病床の妻まゆ曇らせて
*長病みの妻の下着をたたみてはふと手を止めて空(くう)をみつむる
*苦痛なき最期であらば生きながらへずとも良しと妻は言ふ
2022年10月24日
*新たなるガンの告知にうろたへず妻は画像を確かと見つめし
子宮頸がん摘出手術後、毎年検査を続けて丁度10年目の検査で異常がなければ
完全治癒という。結果としては異状がなかったのだが、膵臓のあたりに影が見えるという。
別の大学病院で改めて精密検査をして貰っての結果説明であった。
*「滝桜」手術乗り越え春に来む霊泉恃む妻安らけし
標準治療といって、放射線治療、手術、抗がん剤の組み合わせで対処することに。
腫瘍は3センチ大で、切除するには少し大きすぎるので放射線治療で出来るだけ小さくするという。自分たちで出来ることは何か。効用があるらしき霊泉を探して、入院前に福島県三春町のラジウム温泉に2泊3日で出かけた。このころはまだすい臓がんについて私たちはふたりともその難治性についての理解が欠如していて、手術さえ乗り越えれば治癒するものと思っていた。アイスクリームを食べたりして、まるで湯治に来た感であった。
11月という季節ではあったが、帰京の日に「三春の滝桜」に立ち寄った。
葉桜の枝ぶりを見れば満開になったときの壮大さを思い浮かべるには十分だった。
*「手術より他に術なきや」とふと漏らす妻に向かひて我うなづけり
このような妻の気持ちにどう寄り添えばよいのだろう、どう応えればよいのだろう。
何ら確信めいたものがわたくしに有るはずがないだけに、医師団に対する信頼に揺らぎがあってはならない、迷いがあってはならないという思いだけであった。
ブログ3
野尻湖 五首
*湖の宿むさぼり読みて養ひし青き心の十八の夏
*書に倦みて挑みし黒姫山(やま)の頂で青雲仰ぎ双手突き上ぐ
*二十三 妻を誘ひ野尻湖の船より愛でし黄葉の舞ひ
*六十五 亡妻を偲びて泣きに来ぬ遠き日映す野尻湖の春
*野尻湖に背を向けられず行き惑ひやまに向かひて亡妻の名呼びぬ
大学一年生の夏休み、十八歳、たくさんの参考書類をかかえて大阪から電車に乗って野尻湖の学生民宿にやってきた。2週間ほどの滞在であったが、勉強ばかりに飽きて、
同宿の他大学の学生とふたりで黒姫山に登った。山道のところどころにちょっとした洞穴のようなものがあり、覗いてみるとコケが光っている。「光り苔」だと後から知った。
天候にも恵まれて無事に頂上に着いた。360度のパノラマ。これを初めての登山として、
断続的ではあるが生涯に亘って登山を続けることになった。
妻と結婚した年、1969年の秋に、旅行先に選んだのが野尻湖である。
野尻湖はいわゆる「信州五山」に囲まれた山湖である。
単なる景勝地としてではなく、私のゆかりの地を新妻に見せたかったのだ。
今はもう無いが、黒姫駅のすぐ近くの「対峯館」に宿泊した。
窓から黒姫山が見える。
あれから42年、2011年の、私が65歳、「君偲ぶ旅」の最初に選んだのが
はやり野尻湖である。そして、出発したのは、妻の「幻の67歳」の誕生日である。
季節は違ったがふたりで来た時のことをできるだけ追体験して、そろそろ帰路につかねばならい時刻になっているのに去りがたく、去りがたく、それにしても私にはもはや戻る家、戻りたい家などないという思い、そこには妻がいないのだから。