亡妻はとある俳句結社の幹部を中心に数人の友人と指導を受けていた。

彼女がすでに発表した句や推敲のための句帳を整理していると、どの句をとっても

彼女がいつ、どこで、何を見た、聞いた、触れた、香をかいだ、そして何をどう感じたのか、

まさしく彼女が生きた時間の記録そのものである。

学生時代、銀行時代、英語のサークル、絵画教室、体操教室、そしてなんといっても花好きの彼女にとって

「草女の会」は特別であった。これは東大の植物学の講師が毎月貸し切りバスで女性を全国の

珍しい植物、樹木などの植生地へ案内するというもので、彼女は実に熱心に参加していた。

これらの活動は私とは別の彼女だけの時間であった。

これほどに幅ひろい活動ゆえに、詠んだ俳句も多岐にわたるが、それらの地を訪ねてみようと思いたった。

それは彼女の時間に私の時間を重ねることであり、彼女のさまざまな体験や感動を追体験して彼女の生きた時間を甦らせたかった。彼女を偲ぶ想いに胸がつぶされそうな日々にあって、私自身がこれからをどう生きるのか、なんのあてもないまま

ともかく旅に出てみようと思った。

「君偲ぶ旅」の最初に選んだのは信州の「野尻湖」であった。

はじめに

 

寂しさや悲しみには2相ある。例えば、第1相は多くの人が共感できるような悲しみで

幅も広い。親兄弟あるいは親友を亡くした悲しみはその親密さによって悲しみの深みも

異なってくる。多くの人がこれらの喪失体験を短歌に読んでいる。同じような体験をしたひとはこのような短歌に共感できる。

一方、どれほど言葉を尽くそうとも、表現するすべがない「この悲しみ」は誰とも共有できないので共感を得ることもできない、それが第1相の悲しみ。

ある日、城山三郎の「そうか君はもういないのか」を読んだ。氏の喪失体験を知るにつけ、

自分一人の悲しみと思っていたのが少し和らぐような気がした。

他人の悲しみに共感を覚えることによって私の今の悲しみは薄れていくのだと思ったが

それは違った。共有しうる悲痛体験と共有しえないそれとがあることが明確になった。

第2相の悲しみは時間とともに薄らいでゆくが、第1相の悲しみは時間とともに深まるばかりである。

私にとって「妻の死」がそれである。

 

妻が亡くなって、私は「君偲ぶ旅」に出ることにした。それについては追々触れてゆく。

同時に、短歌を詠むようになった。ほとんどが結果的に「挽歌」である。

作歌は素人なので、言葉や技巧ではなく、思いを素直に表現しようと思った。

今日までずっと内向的な生活をしているが、外にけてブログを始めることを思い立った。

城山三郎の小説を読んで悲しみが和らぐ思いがしたように、グリーフケアは、自らの体験を語り、

他人の体験を聞くことによって、互いの寂しさや悲しみをある程度共有できる。

私の短歌やエッセイをご覧いただいて、寂しさや悲しみが少しでも和らぐようならとてもうれしい。

それでも、第2相の「この悲しみや寂しさ」を表現しえた短歌はひとつとして無い。

これからも無い。それは時間とともに心底に深く、深く沈潜してゆくもので、言葉として浮かび上がってくることはないと

思うのです。