のびのび自由~わくわく生きる~

のびのび自由~わくわく生きる~

自分設定の枠組み・・たまには不自由。それを越えて、毎日をわくわく過ごせたらいいね。
それには、現在の自分を知ること。さぁ、今の自分はどんな~?

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最後にアップしたのを覚えてないくらいの長い間のご無沙汰でした。季節は移り今は夏のまっただ中。毎日暑い日が続いています。いつも変わらずペタを押してくださる方々に感謝します。ペタって不思議ですね。何となく繋がりを感じて『なにかお伝えしたいな~』という気持ちになります。ワンクリックで交流しているのですね^^

昨日誕生日を迎え、自分にプレゼントをしました。『高尾山花と木の図鑑』と、もう一冊。
図鑑の方は絶版になっていて、プレミアムになっていて元のおネダンの2倍くらいです。

写真を撮るようになってから周りの植物や自然の風景に更に惹かれるようになりました。いつもいつもそんなに遠くに行けないので近場に・・・ということになります。

写真を撮り、帰ってからPCに取り込み名前を調べるのがすごい楽しみなのです。中には調べてもわからない植物があり、少しフラストレーションを感じていました。
花と木の図鑑はこれからずいぶんと助けてくれることでしょう。

高尾山は東京都から僅か50キロほどの至近距離にありながらこの山の植物相は他に類を見ないほどの豊富さと言われています。高尾山は信仰を集め古くから森林が守られてきたこと、そして暖帯林と寒帯林のちょうど境目にあたっているために暖帯性草木、寒帯性のいずれもが育生出来る環境にあるということです。植物の種類は約1300種類でイギリス一国の植物数は数百種類ですから、高尾の山の植物の豊富さがわかります。
時々、環境活動家でもある師匠について野山を歩き回り学んでいる最中です。

最近の私の変化は、肉眼ではみえにくい小さな小さな花々を撮り続けていくうちに、自然に命の尊さがわかってきたのです。それはわかる、のと違って他の生き物の命そのものがリアルに感じられる・・・と言った方があたっています。
私がこんなにも自然が好きで、自然の中にいると幸せを感じる人間だった・・・ということが意外でとても嬉しいのです。2、3年前までは人間以外に興味はありません!なんて思っていたのですから。。。自分再発見です^^

最近では興味は植物に留まらず動物たちにも多大な興味を持っています。

特にアフリカの象やライオンです。アフリカでは自分の快楽のためにそうした動物をハンティングする遊びがあるそうです。最近アメリカの歯科医がセシルというオスライオンを殺し、得意げにセシルの遺骸と撮った写真をフェイスブックにアップし非難を浴びています。歯科クリニックを閉めざるを得ない状況に陥っているのだそうです。ハンティングをするために大金を払い、ハンティングを生業とするビジネスに加担しているのです。お金を払えば何でも出来る、といった自分本位の行動が許されるわけがありません。また一つの命が奪われました。
知らなかったとはいえこの野蛮な行為を見逃しているのは私たちなんですね。遠いアフリカの出来事ですが止めさせるために出来ることがあるはずです。

いろいろ書いてしまいましたが、命の大切さを思う今日この頃です。
皆様も暑さに負けないで健やかにお過ごしください。

今日は6月1日。なんだか一日の時間が短縮されているような....そんな気がする昨今です。過去のことを思い出すこともなく、来たる未来に想いを馳せる時間もない~今を想うこともなく(これはまずい^^)ただただ流れに身を任せてどこに行き着くのやら...^^なんとも覇気のない毎日をおくっています。

今のところの楽しみは、朝に狭い庭を一巡すること。植えた植物、自然に生えてきた植物、花の蕾が昨日より膨らみ開花を迎え、今日は遂に開花!小さい菜園の野菜が日に日に大きく成長する様を眺めることです。水やりをし、ちょっと手を加え一日が始まります。植物の育成に関する知識がゼロの私が菜園で育てた野菜をサラダにしていただく、本当に幸せを感じます。

先日、現在103才になられる美術家篠田桃紅さんのドキュメンタリー番組をみました。この方の記事を新聞で目にしピンときたので本を注文。一気に読み上げた所でした。フォーカスしていると情報がもたらされるって本当です。

その番組の中で桃紅さんは珠玉の言葉をたくさん仰ってました。いちいちわかる!という想いがし、本当に嬉しくなりました。
その中で、『花を可愛い、というのは傲慢かな。本当は花が私たちを可愛いと思っているのかもしれませんよ』とい言葉がありました。そして『自然は人を謙虚にする。人間の傲慢さを恥じる気持ちにさせる。』という言葉も。

思えば私が一番平和な(シャンティな)心でいられるのは、一人で自然に触れているときです。きれいなもの、珍しいものや現象を発見したとき、または何も新しい発見がない時でも外に出て素敵な雰囲気を感じている時です。

自分を取り戻すときだし、私のエネルギーの元となってます。

周りに流され過ぎている時に、自然と触れ合ったり、人生の先駆者を見習うことは『背筋をシャンと伸ばして生なさい!』といわれているような気がします。

103才の年齢を感じさせない静かですがいきいきとしたエネルギー。この方の生き方、創りだす作品の数々は周りの人々を幸せにし、自分にあった生き方をしてみよう~と思わせます。乱暴に主張するのではなく、静かに為したいことをする勇気を与えてくれます。

自然のお話から随分と逸れてしまいましたが、たぶん篠田桃紅さんという方の雰囲気を『自然』と同じように感じているからでしょう^^

*写真は庭の片隅で豪華に花開いた柏葉紫陽花です。今年はピラミッド型の花房を7つもつけてくれました(^^)/






もう3月も半ばになってしまいました。
昨日は3月11日。あの未曾有の災害があった日です。あの日から丸4年が過ぎました。
一日中この災害で亡くなられた人々や最愛の家族をなくされた人々、住む家をなくし積み重ねた月日が一瞬にしてなくなってしまった人々のことを想い心が痛む一日でした。

犠牲になられた方々に哀悼の意を申し上げ、今なお不自由な生活を余儀なくされている方々に、心からの御見舞いを申し上げます。

今日は春の気配が濃厚で暖かい日でした。最近は歩くことを心がけているので、娘の誘いに応じ近隣のお山散歩の日となりました。ペースの早い娘には先に歩いてもらい全行程1時間半の山道を2時間半をかけてゆっくり歩きました。
カメラを持ち周りの風景を撮りながら歩くのは本当に久しぶりで楽しかったです。

一人きりで歩くのはとてもいいですね^^道がどこにずれようと、疲れたから休む、ということも気兼ねがいりません。途中の景色や雰囲気を満喫しながらゆっくりと歩く・・・これほどの楽しみはありません。

青い空にとんびが旋回し、小鳥のなく声が聞こえ、更に木々の芽吹きが大きなエネルギーの渦を巻いている様が見えるようで、これが春なんだ~ということを体感出来ます。

歩みを進めていきしばらくすると周りの自然と私が同調してきます。そうすると今まで気づかなかった風景が眼に飛び込んできます。耳に今まで聞こえなかった音が聞こえ始め、しーんと静まり返った山が実はとても賑やかなエネルギーに満ちていることに気づきます。ちょろちょろと水が流れる音、そのまわりにいるであろうカエルの鳴き声などがきこえてきます。

心が静まり返るとこんなにも周りを感じることができるのですね。
何も思わず、日ごろ支配されている思考からも解放され、自由で私の心には過去も未来もなくて、在るのは今という時に同調しているのです。


世界は悲しみを秘め、大きな流れの中にあり歴史は流れていきます。そのほんのひと時を生きている私。この私が世界の為に何ができるのだろうか。

精一杯与えられた時間を生き、実は一つの命である私たちに連体し、感謝し、寄り添って生きていくこと。
本当はそれだけでいいのではないのだろうか。
日常すべきことをし、働き、楽しみ、もくもくと命の在る間を生きるのだ。
なにがあっても慌てずに、気持ちが逆立つ時があってもそれに囚われず、過ぎ去るのを待つ。物事は必ず変化するのだから。

山道は登りあり、平坦な道があり、そして下り道がある・・・なんだか人生みたいだな^^
風景はかわる。どの風景も楽しみ味わいながら歩く・・・それが出来たら最高!



                  ハートを通してみる世界


最近『河合隼雄』さんの『幸福論』という本を読みました。
河合さんは心理療法家として有名な方ですね。
この本は河合さんの幸福についてのエッセーです。
河合さんの相談者に暖かく寄り添う姿勢は、深い人間理解による共感が元になっているのですね。
エッセーの語り口は柔らかでですが決して感傷的になることもなく、醒めた目線で物事をみつめているところがとても好きです。
読んでいて、私自身が河合さんにカウンセリングをしてもらっているような気持ちになりました。

その本の中で『新川和江』さんの詩が引用されていました。心惹かれました。

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わたしを束ねないで

あらせいとうの花のように

白い葱のように

束ねないでください わたしは稲穂

秋 大地が胸を焦がす

見渡すかぎりの金色(こんじき)の稲穂



わたしを止めないで

標本箱の昆虫のように

高原からきた絵葉書のように

止めないでください わたしは羽撃(はばた)き

こやみなく空のひろさをかいさぐっている

目には見えないつばさの音


わたしを注(つ)がないで

日常性に薄められた牛乳のように

ぬるい酒のように

注がないでください わたしは海

夜 とほうもなく満ちてくる

苦い潮(うしお) ふちのない水


わたしを名付けないで

娘という名 妻という名

重々しい母という名でしつらえた座に

座りきりにさせないでください わたしは風

りんごの木と

泉のありかを知っている風



わたしを区切らないで

,(コンマ)や .(ピリオド)  いくつかの段落

そしておしまいに「さようなら」があったりする手紙のようには

こまめにけりをつけないでください わたしは終わりのない文章

川と同じに

はてしなく流れていく 拡がっていく 一行の詩

                  <新川和江 私を束ねないで>

      ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

なんて優しい、けれど激しい叫びなんだろう・・・と思いました

思えば、私も自我が芽生えた辺りからこのような想いで一杯でした。束ねられることへの抵抗は娘であること、妻であること、母であること、嫁であることなど結構重苦しくのしかかっていました。抵抗の葛藤はしばらく続きました。人って束ねるのが好きですから、なんて思っても抵抗することに相当のエネルギーを使いました。
反発し、抵抗し早くから女性の解放運動に賛同し実行していても、心理的に負担が大きく、あるときから周りの人たちの理解を諦めるようになりました。でも相変わらず不自由で心の何処かで周囲や世間との和解を求めていたのです。

今はそのような葛藤はなくなりましたが、その時の試行錯誤は無駄ではなかった、と思っています。

最近思うのですが、自由に振る舞っていても、自分で『女なのだから~』『男なのだから』『母なのだから~』『父なのだから』『嫁なのだから~』など自分を縛り付けてはいなかっただろうか・・・。

河合さんは自分が自分を束ねてしまっている、のではないか、と書かれています。

思えば呼び名はなんであっても私は私。呼び名はなんでもいい。
問題はそのような束ねることを自分がやってしまっている、ことではないか~と。。。

更に結びに書かれているのは

。。。。新川さんの『束ねないで』という訴えは、あくまで自由に羽ばたこうとする自分が、何とか自分を束ねてしまおうとする自分に向って叫んでいるように思えてくる。一番恐ろしいのは、他人ではなく自分が自分を『束ねる』ことなのである。。。。

本当にそうなんですね。

自分への縛りが少なくなればなるほど、しなやかに生きられ、幸福感が増すことでしょう^^





         The ultimate source of comfort and peace is within ourselves.

            癒しと平和の究極のもとは私たち自身の内にあります

ダライ・ラマ法王の言葉です。

今日は快晴!気持ちの良い日です。家人は誰もいなくて、一人で過ごしています。
外のデッキにパソコンを持ち出し、今はちょうどよい木陰となった空間で頂き物のとびっきり美味しい珈琲を淹れ、小春日和のような陽を浴びながら書いてます。

平和で安らいでいます。

わけもなく心が揺れ動いてしかたがないときは人と会わずにこのような時を必要とします。だからことさらこのような自分のための時間を作るようにしています。

人と較べなくっていいんだよ。私は私^^
人それぞれに得意なことと苦手なことがある。出来ることと出来ないことがある。私たちを一つの生命体として考えればその違いがちゃんと生命体として機能しているのだ。
自分が自分でいることを楽しむこと。それは私こそは、と主張する必要がないことになる。
自分自身を十分に生きることができたらいいな。
                        。。。。と思います。

どの人にとっても人生は決して平坦な道ではありません。ある時は喜び、ある時は悲しみに打ちのめされます。苦楽を味わい、私たちにはそのつど問題を意識し、考える能力があります。これが生きる意味だと思うのです。そして安らぎ、心の平和を取り戻していきます。そして志を持ち、夢に向って進んでいくことができます。

こうしていると、小さい私ながら大きなことに繋がってゆく勇気とエネルギーが湧いて来るのを感じます。

大分陽が傾いてきました。土曜日の昼下がり、私にとっての癒しの土曜日の夕方です。さぁ、洗濯物を取り入れましょう^^













            


随分前からゴリラのココちゃんに注目していました。ココちゃんは2000語以上の言葉を手話で表現することができます。
死の意味も理解していて、以前に信仰の会ったロビン・ウィリアムズさんの死を悼み、悲しんでいる様子が写真で公開されました。

純粋な気持ちで心から悲しんでいるココちゃんの表情に心うたれます。

映画で、偉大な俳優でありコメディアンであったロビン・ウィリアムズ氏。大好きでした。この方の映画を観るたびにインスパイアーされました。
生きる上で一番大切な互いを思いやる心を世界中の人々に伝え続けたロビン・ウィリアムズ氏の死を心から悼み、ご冥福をお祈り致します。



こんにちは~!
ご無沙汰しております(^^;
変わらぬ日常を送っていますが、ブログを書くとなると、なんだか身構えてしまってなかなか書けないでいます。
FBはとても気軽で趣味の写真を載せ、短い文章を気軽に書けるのですが、ブログの世界はなかなかそれが出来にくい。。。。

さて7月半ばから終わりまでフランスに行っていました。目的は私の生涯のお勉強、といいますか、チベット仏教を学びにいってました。先生がフランスにいらっしゃるのでやむなくフランスです^^

今年は随分迷いました。まぁいつものことではありますが。今年は更にです(笑)10日間の長丁場の講座に(朝8時半~夕方5時まで)耐えられるのか、宿泊先から会場までの移動は人頼りなので毎日緊張することだとか、15時間を超える飛行時間が嫌だとか、最寄りの空港からセミナーの行われるところまで3時間・・・これをどうする?だとか・・・全て英語だとか....ざっと考えても毎回憂鬱になります。私にとって『おフランス』に行くなどという、うきうきの旅では決してないわけです。不安材料がいっぱい!

もう4回も行っているのに・・・です。毎回違う体験になるのを知っているから。
これぞ学びですね^^

こうした便利でない旅はいろいろな気づきがあるものです。真の自立のチャンスです^^




自国では何でも自分でこなしているつもりでした。例えば、マイカーを持ち、移動も人に頼らず出来る環境にあるとそれが当たり前で『人に頼らない自立した自分』とそれだけで錯覚してしまいます。そうなると『困っているのでお力添えを!』と他の人に頼めない自分が出来上がっていました。(ちっちゃなプライド)
黙っていれば誰かが助けてくれる!とすまし込んではいられない、特に西洋では時として『沈黙は金』ではないのです^^
会場から宿泊先までは車で20分くらい。歩ける距離ではありません。そのエリアに宿泊している人ならば快く乗せてくれますが、機会を逃すと後は自力です。そこで、声を上げることにしました。

Could you help me?

頼んだ人は忙しくてだめでも、心にとめておいてくれるようです。しばらくすると乗せてくれる誰かがみつかります。こうして無事に10日間を過ごすことができました。じーっと待つこと一時間でも帰れた奇跡に感謝します。乗せてくれた、さっきまでまったく知らなかった人の温かい人柄に感動することもありました。苦境は思わぬ良い出来事に変わります。

思うことは、人間、困った状況になるとネガティブな思いに囚われやすい、と言うことです。過去のうまくいかなかった体験が頭を駆け巡り、思い込みで不安に陥ります。そうなると冷静な判断ができにくくなります。

状況は自分が思っていた展開を辿らないかも知れません。でも、思わぬ展開で結局はその問題をクリアできた、ということが起こります。そして思わぬメリットも。それが友情であったり、感謝を知る心であったり、豊かな経験になります。大きなことは問題解決のために行動を起こし、あとは結果を待つことで、他者への信頼感、ひいては自分への信頼感が増すことです。

自分が出来ることだけではなく、時には自分にないと思っている力が必要なことがあります。でもそれが自分の殻を破ることであればあるほど達成感があり、これからの人生の肥やしとなり自信になると思うのです。

一人旅は実は自分を知る絶好の機会でもあります。孤独に慣れることもメリットです。なれ合いは存在しない環境に自分を置いてみてはじめて見えてくる自分があるようです。
知らない人々の中で少しの間暮らしてみるのも、違う自分が現れてくる・・・すごく新鮮です^^
そして一番常用なメリットは自分の置かれている環境や欠点だらけの私とともに過ごしてくれる家族にそして共にいてくれる友達に心からの感謝を持てるようになることです。

なので一人旅、おススメです^^





昨日仕上がりました。アイヌ刺繍を始めて半年です。刺繍が楽しくて時間が経つのも忘れるほど^^

裁縫だけは生涯することはないだろう、と思っていました。母や姉妹も器用です。なのに私だけが出来ないなんて.....と内心ひがんでました。コンプレックスのかたまりでした。

その理由は小学校の家庭科の授業で縫い物の宿題が出た時の母の一言  

『どうせ出来ないのだから私が縫ってあげる!』でした。
それが焼き付いてしまったのです。ひどいですね~...笑

子育てのとき、必要があって実際やってみると、これが出来ない!
それでますます裁縫が嫌いになってしまいました。

ところが、ある日アイヌ刺繍をみて心が動いたのです。
『やりたい!』と素直におもいました^^
取り敢えず見学に行きました。でもやりたい、とは言えず帰りかけた時に、『あれ!やっていかないの?』と。

それが始まりです。(前にも書いたような....)

今では刺繍が楽しくて仕方が有りません。好きでいつも針を動かしているので少しづつきれいに縫えるようになりました。

趣味の写真を撮ることもそうですが、好きなことを夢中になってしている時は自分と向かい合っている時です。撮る自然のなかに自分を写したり、一針一針丁寧に縫い込んでいる時は心が空っぽになっていますが、自分と向かい合っています。
様々な想いがわき起こってもそれを認めて流す事が出来るようです。
動の瞑想は私に合っているようで、マインドフルな状態のきっかけになってます。
行動すること・・・をなにか大きなことをしなければ、と思いがちですが、(それも素敵ですが)日常の作務をこなすことや趣味を持つことから始めるのもいいですね^^

写真は自分デザインのアイヌ刺繍です^^


5月5日、良く出かける吉祥寺。そこにある井の頭公園は連休中でもあり、いつも以上の賑わいでした。
井の頭動物公園に友人と初めて行きました。

小動物や鳥類などを見ることができます。

私は動物園が苦手です。狭い檻に閉じ込められ本来の生きる場所である自然から切り離されてストレスフルな毎日を送っている、そうとしか思えないからです。実際見ていると、同じ行動を繰り返し、お猿さんは一様に毛が抜けています。

そこで、象のはな子に会いました。はな子は現在67才。歯が抜け落ち固形物はたべられないそうです。

対面したとき、やはりある種の悲しさや寂しさを感じて辛い気持ちになりました。太いホースを鼻でもてあそんでいます。そして足踏みを繰り返し、とても退屈そうに見えました。

家に帰ってもはな子の様子が脳裏から去らず、考えてしまいます。
あまり気になるので、本を購入しました。はな子について知りたかったからです。
タイトルは『父の愛したゾウのはな子』です。

その本はゾウのはな子と30年間も飼育係として接した山川清蔵さんとおっしゃる方とはな子の物語です。

象は賢くて非常にデリケートな動物だそうです。間違いとはいえ2人の人間を殺してしまったはな子。その後の(躾でもありますが)ひどい扱いで心を閉ざしてしまったはな子の心開き、ついには来演する人々との触れ合いまで可能にした一人の飼育係の粘り強い努力とはな子に寄せる愛の物語です。

人間と同じようにいったん閉ざした心は、無理矢理こじ開けることはできません。愛情という鍵が必要です~本当にそうですね。

そうか~はな子は接する人々の親身な世話を受けていたんだ~とホッとしました。

私たちの眼には触れない沢山の人々の愛と善意の努力で67才まで元気でいてくれているのですね。

狭くて暗く、コンクリートに囲まれた畜舎での生活から解放して、大自然に返してあげたい気持ちは誰しも感じることだと思います。私もそれを願います。

でも、この本を読んで、子どもたちだけではなく、私たち大人にも夢と好奇心を育てるために、苦しく不自由な動物園にいるこうした動物たちに感謝と、大事に愛情深く世話をしている飼育係さんたちの功績を讃える気持ちになりました。

とてもいいお話です。子どもたちに読んであげてからはな子に会いに出かけるのもいいですね^^

私もかわいいはな子に会いに動物園にたびたび足を運ぼうと思います。
長い間のご無沙汰でした。

あの大雪の日からはや一ヶ月あまり、めまぐるしく毎日が過ぎ往きあっという間に春になりました(^^)/

昨今はあるイベントを企画、進行中でときめく日々をおくっています。

仲間達と和気あいあいとする作業で『いや~私には無理!』と思えたことが追いつめられて一生懸命に取り組むことで出来るようになってます^^
例えばPCの操作も一つ。参加希望の方々への返信や名簿作り、そしてスカイプミーティングなどなど.....です。曲がりなりにも出来るようになりました。

そして、英語!仲間達は皆さん英語に堪能です。非常に高レベルの英語は出来る人にやってもらいますが、それでも『私は出来ませんから...』とは言えない雰囲気(><)

英語でメールを書いたり、ミーティングでは話さなければならない場面もあるわけです。

私は日常会話はできますが、話が込み入ってくるととたんに臆するのです。更に特に周りの人たちが英語に堪能だとフリーズしてしまい話せるはずの英語がでてこない。

ある日のミーティングで『英語で言って!』って言われてしまいました。その時は腹を決めました。やってみました!
結果は....出来映えはともかく自分のために良かった、と思えました。あとでそう指示してくれた友達に感謝しました。

『自分は出来ない!』って決め込んでしまうと出来るようにはならないなー、とつくづく思います。

自分が他の人にどのように評価されるかを気にしたり、失敗を怖れていると自分が今出来ることしかしなくなります。

でもね、こんな時に思い出すのは死ぬ前に語られた人たちの言葉です。

『あぁ~思いっきりやりたいことをすれば良かった!』

『BE Here Now』のラム・ダスさんも『人生をやり直せるならわたしはもっと失敗をしてもっと馬鹿げたことをしよう』という本を書いています。

人生は自分が与えられた物事に、そして夢の実現のためにどれくらい懸命に取り組めるのか.....周りの人たちと和合し、楽しみを見いだし、出来るじゃない!やって良かった!の積み重ねだと思うのです。何才になっても自分にチャレンジです^^

それで今なにをしているかと言うと、これです。

 ジグメ・ケンツェ・リンポチェ 東京講演 (3月29日、30日)

仏陀は最高のカウンセラーだと思います。その教えをチベット仏教のリンポチェが優しくひも解きます。



                    夢を叶える花?