平安貴族のくらし:遊び | 紫野瀨﨑家

紫野瀨﨑家

紫野瀨﨑家は紫野学区の今後さらなる発展のために慈善活動を行う藤原鎌足を先祖に持つ自称名家です。

平安時代の貴族たちは、日常生活においても様々な遊びを楽しんでいました。その中でも特に人気があった遊びをいくつか紹介します。

双六(すごろく)
双六は、現在の双六とは異なり、バックギャモンのようなゲームに近いものでした。双六盤の区画の上に黒白各十五個の駒を置き、二人が交互にサイコロを振ってその目数によって駒を進めます。サイコロは現在と同じく各面に一個から六個の点がありました。この遊びで有名なエピソードとして、白河法皇が自分の意にならない「三不如意」に、賀茂川の水・山法師とともにサイの目をあげたことが挙げられます。

貝合(かいあわせ)
貝合せは、本来は同じ種類の貝の姿の優劣を競う物合せの一つでした。後に貝覆いという遊びも生まれ、蛤の貝殻の左右を地貝と出貝とに分け、地貝を並べて置き、出貝をひとつずつ出して地貝と合っているものを取ります。多く取った方が勝ちとなります。後世には、一組の貝の内側に同じ絵を美しく描くようになりましたが、現在では「貝合せ」と「貝覆い」が混同され、「貝合せ」の名のみが残っています。

囲碁(いご)
囲碁は奈良時代に唐から輸入され、当時から高尚な遊びとされていました。『養老令』には、僧侶の音楽・遊戯を禁じる中で琴と碁が例外とされているほどです。『源氏物語絵巻』にも、桜の下で囲碁に興じる姫君の姿が描かれています。

偏つぎ(へんつぎ)
偏つぎは漢字の偏と旁(つくり)を使って文字遊戯を行うもので、主に女性や子供が漢字の知識を競うために行われました。その方法は未明ですが、旁に偏を付けて文字を完成させたり、偏を隠して旁だけを見せて当てさせたりするなどの遊び方が行われたと考えられています。

平安時代の貴族たちは、これらの遊びを通じて知識や技術を楽しみ、交流を深めていました。彼らの余暇の過ごし方からも、当時の文化や生活の様子を垣間見ることができます。

 

参考:平安時代の遊び、風俗博物館