橋本真也について語る・その17 | ONCE IN A LIFETIME

ONCE IN A LIFETIME

フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

かくして橋本VS小川の初対決となった訳だが、ここで橋本はまさかの負けを喫する。プロレス的な展開として、まずは敵である小川に勝たせてからその後の展開を考えていく、と言うのはごく普通なのであるが、まだミスター高橋本発売4年前の当時としてはまだまだ純粋にプロレスを見るファンばかりであったので、ひたすら悔しかったものである。因みに、余談ではあるのだがこの時も1.4に続いて、当時タレントとしてメディアに出始めたテリー伊藤氏の姿をリングサイドで見る事が出来る。

 

ただ、ご存じのように、小川直也が自身の映像を上げる事を拒否しているので、今では個人で録画しているテープでしか見る事が出来ないのだ。そして、この時の試合も確か日曜の午後14時ぐらいから放映され、10パーセントを超える視聴率を記録した。しかし、それだけ橋本の敗北が世間に広く伝わってしまった事もあるので、複雑な気持ちだったのは確かだ。

 

ミスター高橋氏によれば、負けをのまざるを得なかった橋本は試合前までも納得の行かない様子だったらしいのだが、試合後からもその感情は伺う事が出来る。さすがの新日本もすぐにイーブンにしてあげたかったのか、わずか1ヵ月後に大阪ドームで行われた再戦で、橋本はリベンジを果たす。しかし、この時のフィニッシャーが、有名なほぼ死角からの側頭部蹴りである。レガースをつけていない橋本の蹴りがかなりマジで決まり、実際に小川はプロレスの域を超えたダメージを喰らったはずである。これで1対1となり、一旦は2人の対決はこれで決着がついたように見えた。

 

で、今結果を見直して知ったのだが、2戦目は実はIWGP王座が賭けられていたのだ。もちろん、小川が勝つ事はないとは言っても、プロレスキャリアゼロに等しい小川相手にいきなりベルトを賭けるのはどうなのか、とも思ってしまう。

 

その年の10月11日、プロレスの威信を賭けた戦いで高田がヒクソンに完全に敗北し、世の中の潮流はプロレスからMMAへと向かっていく。私も自然とその流れに乗っていく形となっていったので、まだ週刊プロレスは読んでいても、次第にプロレスを楽しめなくなっていき、同時にプロレスラーの強さに対しても疑問符が付くようになってしまう。

 

なので、翌年になるととうとう週プロを買うのも止めてしまったので、ワールドプロレスリングのみが頼りとなっていった。なので、記憶にあると言えば1998年のG1で、遂に橋本がG1を制覇した事ぐらいである。しかし、この時の相手が山崎一夫であり、どう考えてもここで優勝するような格でもなかったので、なんだか橋本に勝たすための相手を用意してあげた、みたいな感じを受けてしまったので、「これじゃどうせ橋本勝つよね」と最初から冷めた目で見てしまっていたかと思う。

 

そして、まさかの大仁田厚招聘を挟んで、遂にあの1.4事変を迎えるのである。