橋本真也について語る・その16 | ONCE IN A LIFETIME

ONCE IN A LIFETIME

フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

高田戦以降、UWFインターとの対抗戦も落ち着いていくので、新日本はインディーとの対抗戦に活路を見出そうとしていく。しかし、新日本のかませ犬になる事を嫌ったか、主力であるターザン後藤や松永光弘らが参戦拒否を示したため、新日本の思惑通りとはならなかった。

 

その結果、1997.1.4はカード編成にかなり苦しんだ様子が伺え、挙句の果てに猪木の相手にウイリー・ウイリアムスまで引っ張り出した事からもそれは伺える。しかも、この時は決め技限定マッチと言う意味不明なルールの試合となり、猪木の試合としては大凡戦に終わってしまった。

 

そんな中でも、大日本から参戦した田尻が大谷を相手に大善戦し、一気に注目を浴びるなどの収穫はあった。そんな大会のメインを締めたのが、橋本と長州である。さすがに時代を引き戻す事はなく、おそらく橋本が初めて長州に決めた垂直落下式DDTで完璧に決着がついた。

 

この試合は、橋本が長州のラリアットを何発も喰らっても倒れないなど、かなり見どころのあった試合であったが、それが一般視聴者をも引き付けたか、夕方の特番として放映されたこの大会は、この試合で瞬間最高17パーセントを記録したのだ。当然、この時間帯でもトップクラスであり、平均でも11パーセントを超え、箱根駅伝以外の正月スポーツ中継としても十分及第点な数字だったのである。

 

ネット黎明期の時代、テレビの影響は非常に大きく、これ以降観客動員数が目に見えてアップしていったと言う。それまでも、橋本は自らの知名度を上げようと様々なバラエティに出演していったのだが、この辺りから改めて「プロレスラー」としての橋本真也の認知度を確実にしていったかと思う。そういう部分から、この大会の意義は非常に大きいものがあった。

 

そして、前年に引き続き4月のドームが発表されるのだが、この時の目玉はパンクラスを離脱していたウェイン・シャムロックになる予定だった。しかし、WWEと天秤にかけていたシャムロックはあっさりとWWEに寝返り、そのままモーストデインジャラスマンとしてWWEに定着する。これに関して田中ケロ氏が文句を言っていたが、良い条件を出した方に行くのはプロとして当然なのでシャムロックは至極妥当な選択をしただけの話だろう。

 

その結果、橋本の相手は「プロ格闘家」を名乗った小川直也へと急転直下する。まさにのちの橋本の運命を左右する相手となるのであるが、プロレスファンは最初っからアマチュア格闘家など眼中にないので、一般マスコミの報道とは対照的に反応はいまひとつだった。