橋本真也について語る・その8 | ONCE IN A LIFETIME

ONCE IN A LIFETIME

フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

前にもどこかで触れたと思うが、1994年2月24日に、新日本としては時期的には異例とも言える日本武道館大会を行う。しかも、私の記憶が正しければ、この日はファン感謝デー的な日であり、確か全席5000円とかでの販売ではなかったかと思う。ソースがみつからないので今となっては記憶のみが頼りなのであるが、確かこの時は「武道館なのにこんな安くてラッキー」と思った事は間違いないので、普段よりかなり安かった事は確かである。

 

そして、新日本はこれを恒例化するはずでもあったのだが、案の定これ一回きりで終わってしまった。この日の橋本はメインであり、当時ジュニアの王者だったライガーと対戦した。つまり普段は基本まずないであろうヘビーとジュニアの王者同士、と言うのが売りであったという訳である。

 

そしてさらに、この日のライガーは対ヘビー級仕様として、マスクがシンプルかつ上半身裸のコスチュームを初披露してきた。ライガーとしてデビューして以来、一貫して全身コスチュームであったので、つまりは素顔時代以来の上半身を披露と言う訳である。身長が低い事もあるとは言え、若手の頃から筋骨隆々だったライガーであったが、久々に披露した肉体は下手なヘビー級レスラーを凌駕してしまうぐらいの見事な肉体をしていたものだ。

 

当然、会場はライガーへの声援一色であり、かなり橋本を追い詰めた所まで行ったのだが、当然ジュニアがヘビー王座に勝てるはずもなく、橋本が勝利した。この試合もワールドで見れるのであるが、決着は垂直落下式DDTであった所を見ると、この辺りから「ここ一番」としてのフィニッシャーとして使用していったのだと思う。ただ、見た目的には元祖ブレーンバスターと大差はないので、確か週刊プロレスはかなり長い期間「垂直落下式ブレーンバスター」で通していった記憶がある。

 

因みに、元祖ブレーンバスターはディック・マードックが一線を退いてからは誰も使い手がなかったが、1992年の夏頃に川田利明がリチャード・スリンガーに突如として使ったあたりから復権し、必殺技としてのブレーンバスターを蘇らせた。

 

なので、元々のDDTもジェイク・ロバーツの技だし、それを発展させた垂直落下式DDTも元はと言えばブレーンバスターそのものである。武藤や蝶野に比べるとオリジナルの技が乏しかったという部分で、正直自分的には物足りなさを感じていた。