この日は断片的に見ていたのであるが、武藤の人気を考えると、それまでの流れを知らない私としてはどうして名勝負になりえないシンとのシングルを組んだのか甚だ謎である。当時の新日本のトップと言えば長州力であり、続いて復帰したばかりの藤波辰爾、そして次世代を担う闘魂三銃士、という序列であったのだが、人気面で言えば武藤がずば抜けていたと思う。
なので、明らかにスター性が頭抜けている武藤がまず大プッシュされるべきなのに、新日本はそうはせずに闘魂三銃士をバランスよく売り出そうとしていた。これは、後に理解出来るのだけれども、ようは過去の大量離脱の経験から、突出したエースが突然消えてしまうとにっちもさっちも行かなくなってしまうため、昔の全女のいわゆる「トロイカ体制」のように、複数スター制を敷いたのだろう。
それは新日本自らがのちにまた証明する事になるので、一応成功はしたとは言えるのであるが、それでも当時は明らかに突出したかっこよさの武藤がまだ横一線と言うのは謎だったものである。まあそれはさておき、久々に新日本を見て真っ先に惹かれたのが、やはり武藤敬司だった訳である。
その頃はまだ中継を見れない日の方が多かったのだが、1991年3月のスターケードin闘強導夢は見る事が出来た。ただ、この時は武藤ではなくムタとしての登場であったのだが、当時はアメリカでムタとして成功していた事が全く知らず、単にカブキのパチモノだと思ってしまったのである。一緒に観ていた姉も、「カブキの真似じゃん」と言っていたものだ。
試合は可もなく不可もなく、と言った感じであったが、フィニッシュが毒霧からのボディアタックと言うのが若干どっちらけだった。1990年代半ばぐらいから毒霧でも客が沸くようになったのであるが、当時は毒霧は完全な反則、卑怯な手段と言うのがファンの認識であり、相手の顔面に吹いたらブーイングの嵐だったのである。
当時はまだ80年代からのファンが多かったから、毒霧自体はカブキで見慣れていたとは言え、そのカブキは滅多な事では試合中に相手に対して吹く事はなかった。私が覚えている限りでも、試合後の乱闘中にハル園田に対して吹いたのを覚えているぐらいである。なので、あくまで毒霧はデモンストレーション用、相手の顔面に吹くなどと言うイメージなどまるで湧かなかったので、試合中に顔面に吹き放題のムタへの反発はかなり大きなものがあったのだ。