そういう訳で、ようやく猪木の偉大さを理解しつつあった当時であるが、それでも時は闘魂三銃士はもちろん、四天王やUWF系のエースたちも全盛期を迎えており、やはり私はマット界の中心である彼らの方を向いていた。この年からそれなりの頻度で近場のビッグマッチに足を運んでいたのだが、そんな折の9.23横浜アリーナ大会に赴いた際、ホーガンの試合が終わった後ぐらに突如として猪木が入場してきた。
一部では失敗とも言われた8月の史上初、そして唯一となった両国7連戦のG1クライマックスであったが、そんな声に発奮したのか9月のG1クライマックススペシャルは豪華カードの連発であり、特にこの横浜ではホーガンとムタのタッグが実現するなどまさに夢の顔合わせであり、私も「リアル・アメリカン」に乗ってホーガンが入場してきた時は狂気したものである。
そして、前述の猪木であるが、この日はスキャンダルが報道されてから初めての会場入りだったと思う。当然大猪木コールに包まれ、ダーもやったと記憶しているが、この時が実は私が初めて会場で猪木を見た瞬間であり、そして無論初めて猪木コールとダーを行った瞬間でもあった。しかし、当然の事ながら放送ではカットされており、その後も放送されたか定かではないので、それ以来動く映像では見てはいない。
また、今でこそ横アリは集客に苦戦する会場として知られており、プロレス団体はもちろん、格闘技ですらあまり使われる事はないのであるが、当時の新日本の9月の大会は恒例化しており、そして掛け値無しの超満員だった。これは1996年辺りから陰りが見えはじめていくのだが、集客が苦戦すると見るやすぐに撤退する所などはさすがである。
そして翌年の1.4である。どう言う流れで決まったかは覚えてはいないのだが、天龍の挑戦状から1年ちょい過ぎで遂に猪木VS天龍のシングルマッチが決定した。まだ猪木無しでは集客に不安があったドーム大会における超目玉カードである。前年は体調不良で行けなかったので、この時が人生初の1.4ドームとなった。この頃はまだゲームセンターにも通っていたので、都内で興行がある時は必ずと言っていいほど新宿辺りのゲーセンに寄っていったものである。
しかし、この時はゲーセンのみならず、急に以前人から借りたドラクエVが欲しくなったので、ドームに行く前に新宿のヨドバシカメラ東口店で買っていった。この時のドームも外野以外は埋め尽くされていたのだが、おそらくドラクエVを持っていた人間は自分だけだったに違いない。