当時、月1ぐらいで土曜日の深夜において日テレの「FULLすぽーつこれくしょん」枠内で、プロレスリクエストなるものが放映されており、それで日プロ時代の馬場の名勝負までも見る事が出来たのであるが、確かに全盛期のジャイアント馬場の凄さはフィルム越しでも嫌というほど理解出来たものである。
しかし、馬場がその圧倒的な強さと存在感を見せつけられたのはあくまで日本プロレス時代までであり、全日本プロレス旗揚げ直後の映像からはその当時のような迫力がすっかりと失せていた。旗揚げ当時はまだ34歳ぐらいだったと思うのだが、それでも日プロの晩年あたりと比べてもかなり衰えが目立っているように見えた。もちろん、巨人症というハンデ、そして社長業などの背広組としての業務による負担の増加などが影響したのは明確なのであるが、それでも急激とも言える衰えである。
そして、YouTubeなどなかった当時、ほとんどの人がイメージするジャイアント馬場像というのが、その衰えた後の姿なのである。それに対し、5歳年下のアントニオ猪木はまさに破竹の全盛期を迎えようとしていた。そして、ようやく私がこの当時のアントニオ猪木の凄さを映像を通してであるとは言え目の当たりにしたのである。特に1974年3月のストロング小林戦からの猪木は途方もない格好よさであり、これならまっとうな10代男子であればジャイアント馬場やジャンボ鶴田よりも、強くてカッコいいアントニオ猪木に憧れるのは当たり前の事である。
そういう訳で、あくまでダイジェストではあるものの、新日本の歴史を知る上ではとても貴重なビデオだった。また、当時はよく新宿にあったプロレスショップ、アイドールにもたまに通っていったのであるが、そこでも猪木の名勝負集を買ったものである。今でも保存してあるが、当時はまだ竹内宏介さんや山田隆さん、そして桜井康雄さんなどがご存命であったため、現在発売されるムックなどとは比較にならないほどの猪木愛に満ち溢れた文章を読む事が出来た。
当然、現在では幻の試合となっている伝説の「アントニオ猪木VSジョニー・バレンタイン」の試合レポートも詳細に描かれているし、今でも蔵前国技館で目の当たりにした人たちは、それこそ猪木プロレスの最高峰、と謳ってやまない。当時のリング上の風景は闘魂三銃士と四天王プロレスの風景に完全に移り変わってはいたものの、改めてアントニオ猪木あってこそのプロレス、という認識を抱いたものである。