結局、91年は一度も試合をする事はなく、私の記憶では横アリで藤波とムタがグダグダな試合をして不穏な空気になった際、猪木と長州が登場してそんな雰囲気を一掃したのを見たぐらいである。そして、1992年の記念すべき初の1.4東京ドームである「超戦士in闘強導夢」において、実に1年3ヶ月ぶりとなる国内試合が行われた。
正直、本当はもう引退してゆっくりしていたかったのかも知れないが、記念すべき20周年イヤー、かつスポット参戦となった事で余計に商品価値が上がっていた事から、しばらくドーム級の会場において猪木の試合は欠かせないものとなっていったのだ。そして、この時の中継は20周年記念という事もあってか、午後6時半からだったと思うが、1時間半枠の生中継枠だったのだ。
猪木の相手は元々タイガージェットシンだったようだが、紆余曲折あり馳浩となった。これは本当はどういった経緯だったのかは知らないが、4年ぶりの巌流島決戦はレギュラー枠でも放映され、馳が池に落とされた週プロの表紙も記憶に残っている。この試合は確実に生中継枠に収まるよう中盤に行われたが、ベストバウトにも候補が上がるほどの名勝負となり、久々にビデオに録画した私も何度も繰り返して堪能していったほどである。当時はプロレス中継を見ていた男子クラスメイトもそこそこ多かったのだが、きっと皆猪木の勇姿に堪能したに違いない。
この時の視聴率は11%程度と低調に終わったため、以降実に4年に渡ってゴールデンで放映される事はなかった。ただ、基本王座戦のみのボクシングとは異なり、プロレスはそうもいかず、さらにこの日のセミではレックス・ルーガーと蝶野のWCW王座戦という、おおよそ一般層へのアピールは皆無なカード、さらに試合自体も凡戦に終わったため、この辺りで大分チャンネルを変えられてしまったのは間違いない。なので、猪木やムタの試合に限ればもう少し高かったはずである。
この大会は当然週プロの増刊が発売されたのだが、余程刷ったせいかどこの本屋でも見かける事が出来たため、立ち読みだけでは済まずに買ってしまった。秋ぐらいから毎週木曜日には週プロをしょっちゅう立ち読みしていたのであるが、買ったのはこの時が初めてだったかと思う。その直後、ゴングからも毎年恒例のカタログが発売されたので、それも7年ぶりに買った。つまりはプロレス熱が再燃していったという事である。