追悼・アントニオ猪木・その1 | ONCE IN A LIFETIME

ONCE IN A LIFETIME

フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

NHKや24時間テレビでの様子、そして今年における超大物の度重なる訃報などもあり、ある程度の覚悟は出来ていたが、やはりいざその瞬間を迎えてしまうと心の中にとてつもない空白が出来てしまうものである。レスラー、特にアメリカは比較的短命な人が多く、私が子供の頃から見ていたレスラーたちがどんどん鬼籍へと入っていってしまったが、やはりそれがアントニオ猪木となると話はまた別である。

 

まあ、猪木の偉大さは私が今更語る必要もないので、個人的な思いを綴っていくが、私が子供の頃はまだ新日本が金曜8時、全日本プロレスも毎週土曜日夕方5時半に放映していた事から、トップレスラーの認知度というのは今とは比較にならないほど高かった。もちろん、その中でも馬場と猪木の存在は別格であり、日本に日本人として生きていたら必ず自然な形でその名を認識していくほどの超大物だった。

 

しかし、あいにく私の両親はプロレスを見ない人たちだったので、私がテレビで実際にお目にかかる事はなかった。なので、記憶にある限り、その名前を認識したのはコロコロコミックでの読み切りだったかと思う。それが月刊か別冊だったのかはあやふやなのであるが、少なくとも漫画からその名前を知ったのは間違いない。もちろん、あくまで名前のみで、新日本だとかの名前までは認識する事はなかった。

 

そんな私がプロレスに夢中になるきっかけを作ってくれたのは、同居していた祖父である。祖父は力道山時代から欠かさずプロレスを見ており、たまたま全日本プロレス中継を見ていた時に私もそこに居たのだ。最初に見たレスラーはジャンボ鶴田とテリーゴーディだったので、ずっとインターナショナル選手権か何かだとずっと思っていたのであるが、最近YouTubeで当時の放送を確認したらそれぞれGカブキとマイケルヘイズと組んだタッグマッチだった。

 

なんともあやふやであったが、鶴田が流血していた記憶ははっきりとあり、実際にそのタッグマッチでもそうであったので、この試合でほぼ間違いはないであろう。翌日の日曜日、早速親に頼んで竹内宏介さん著の「プロレス激闘全百科」を買ってもらい、そこで基本的なプロレスのイロハを学んで行った。

 

その本においては何人かのレスラーが特集されていたが、1人目は猪木であり、2人目が馬場だった。プロレス界の常識のひとつに、2人に触れる際には馬場・猪木の順で書かれるのがほとんどというのがあるため、後年になって買い直した際にこの序列に驚いたものである。要は、その本が発売された1984年はその序列が当然なほど、猪木の方が人気で圧倒的に上だったと言う事である。