アーケードゲームを愛す・その23 | ONCE IN A LIFETIME

ONCE IN A LIFETIME

フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

前回触れたように、ストIIダッシュが一番盛り上がっている時に、私はすでに嫌気が差し始めていたので、ゲーセン自体にすらさほど通ってはいなかった。再び通い始めるようになったのは夏休み明けである。その頃になると、かなりの頻度で例のオダサガゲーセンに通って行ったのであるが、この時にハマったのが「ソニックウイングス」である。

 

当時、斜陽を迎えていたシューティングゲームにおける久々の大ヒット作品であった。当時、シューティングが受けなかった原因として、やり直す際に何度も前半面をプレイさせられる羽目となり、嫌気が差してやめてしまう、というものがあったのだが、このソニックウイングスはキャラ選択制なのはもちろん、なんと前半3面を完全ランダムにしてその欠点というのを解消しているのである。

 

それを見て何か既視感があるのを感じずにはいられなかった私であったが、そう、これはそのままストIIである。正直、システム的にはほぼパクリと言って差し支えはないのであるが、さすがに全く違うジャンルだけあって全くと言っていいほど問題になる事はなかった。もちろん、それでゲームがつまらなかったら意味がないのであるが、出来自体もすばらしく、そのテンポの良さと爽快感は当時の他の縦シューと比べても一線を画すものであった。

 

発売自体は春頃であったかと思うが、私が実際にプレイしたのは9月に入ってぐらいであったかと思う。ほとんどオダサガでプレイしていたのであるが、当時の私にとってはまだ難易度が高めであり、デフォルト4機設定でありながらなかなか一周する事が出来なかった。そして、それより少し後に発売されたのが「カプコンワールド2」である。

 

言わずもがな、カプコンワールドの続編であるが、ボリュームは比較にならず、一人でプレイするにはあまりにも敷居が高かった。しかし、私にとってこのゲームはどうしてもプレイせざるを得ない魅力があったのである。それは、なんとジャンルセレクトにプロレスがあったからである。他はまあありがちなジャンルばかりであるにも関わらず、何故プロレスだけが独立したジャンルとなっていたのかは今でも謎なのであるが、まあ普通に考えてスタッフに詳しい人が居たからなのであろう。

 

日本のプロレスの旗揚げを1954年の2月とすると、1992年当時なんと38年しかその歴史がなかった訳である。そして、当時は雑誌を読まなければほとんど分からないニッチな世界となっていたので、必然的に皆が皆マニアになっていった訳であり、イコール40年未満の歴史などは余裕でカバー出来てしまっていたのだ。

 

つまり、私的にはプロレスのジャンルさえ選んでしまえば、正答率は100%なのである。もちろん、そう簡単にジャンルセレクトは選べないとは言え、魔法使いさえ選べば、前半面ではほとんど選ぶ事が出来た。正直、それが楽しくてプレイしていたようなものである。

 

そんなある日、うちの学校の仲間が集まった際、全員でお金を出し合ってクリアを目指す事になった。一体いくら使ったのかは不明であるが、とりあえず金の力でクリアだけはする事が出来たのである。なので、クイズゲームはそうするしかないと思い込んでいたものだから、のちゲーメストで正解率100%クリアが達成された時は目を丸くしたものだった。