1984年11月、ゼビウスの発売により一気にファミコンユーザーが増えると、コロコロコミックなどもファミコンを取り上げるようになり始め、さらにはかの「ファミコンロッキー」の連載も開始されたため、私の視界にもようやくファミコン、テレビゲームなる存在が目に入ってくるようになる。クラスメイトたちにもファミコン所有者が徐々に増えていったため、私も自然と欲しくなっていったものだ。
結局、翌年6月に買う事になったのだが、もちろんコロコロが扱うのはファミコンのみであり、アーケードゲームなどは皆無。そして、「ビデオゲームをする」という行為そのものも、ファミコンで満たされるようになったため、旅行などに行っても以前ほどアーケードゲームに興味をそそられる事はなくなっていた。それでも、同年8月に旅行した際には、ホテルでビデオゲームをプレイする機会を得た。そのゲームとは「バトルス」。
見た目はゼビウスそのものなのに、何故名前だけが異なるのかは子供ながらに疑問ではあったのだが、せっかくなのでプレイさせてもらった。私の記憶にある限り、それが家族旅行でプレイした最後のゲームであったかと思う。それからはアーケードゲームに触れる機会はグッと少なくなったのだが、それでも友人たちと遊んだ際に駄菓子屋で筐体を見る事はままあった。と言っても「ワンダーボーイ」ぐらいしか見た事はなく、プレイもしなかったのだけれども。
また、この頃よくあったのは、アーケードの筐体にファミコンゲームを入れるというものである。当然、中身はファミコンまんまなので、クレジットではなく時間制限プレイとなるのであるが、その中身がよりによってドラゴンクエストだったのだ。これはゲーメストアイランドでも触れていたかと思うが、当然RPGなどまともにプレイ出来る訳がない。それを知っている私たちは当然手を出す事はなかったのであるが、駄菓子屋のお店の人たちはそんな事知るよしもないため、筐体を置かれただけでインカムなど一向に入る訳もないのだ。これはあまりにもあくどい商売だった。
そして、スーパーマリオ、そしてドラクエシリーズの爆発的ヒットにより、ファミコンが一大ブームを巻き起こすと、世の中のゲームの認識はほぼイコールファミコンとなっていく。私自身もその頃はアーケードとの関わりは全く無く、そんな時期が数年間は続いた。それに変化が生じ始めたのは、1989年5月から買い始めたファミコン通信がビデヲゲーム通信というコーナーを持っていた事、そしてファミマガも「俺たちゲーセン野郎」というコーナーでアーケードゲームを紹介し始めていた事からである。
まだSFC発売前であり、据え置きはファミコンとPCEしかプレイした事のなかった私にとって、当時の最高峰のアーケードゲームの画面というのは非常に眩しいものだった。ただ、まだまだゲームセンターのイメージは良くなかった当時、自分から積極的に行くという事はまずなかったのだ。