プロレスラーのお手柄 | ONCE IN A LIFETIME

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フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

昨日、新日本プロレス所属のレスラーである、グレート・オーカーンの大手柄が報道された。変換が面倒なので、通称であるオーカーンの表記のままここではいくが、ハッキリ言ってプロレスファンとしては誇りとしか言いようがない。そして今日、神奈川の中原警察署にて表彰が行われ、各テレビ局でも報道されていったが、私の予想以上に大きく報道されているな、と言うのが正直な感想だ。

 

もちろん、その手柄を考えたら当然かも知れないが、それでもオーカーンの一般的知名度と、決してエース級とは言えない新日本における今の地位を考えたら高いと感じてしまう。それは何故か、もちろん私なりの考えであるが、まずは彼が「プロレスラー」である、という事だ。これがもし、「格闘家」であったら、ここまで大きくは報道されなかった可能性もあるし、Twitterでもここまでバズる事はなかったかも知れない。

 

それはまず、プロレスラーが手柄を立てたと言う時点で、プロレスのイメージアップに繋がって喜ぶ層が必ず一定以上居るからである。正直、プロレスは認知度こそあれ、そのイメージは今でも決して良いものではなく、未だにできレースを揶揄するような例えにすら使われる事がある。後者に関しては、それを使う時点でプロレスのプの字も分かっていない事は確実なのであるが、とにかく不愉快な事極まりない。未だにそういうイメージで捉える人たちが一定数居るからこそ、プロレスラーの手柄というのはこの上ない誇りなのである。

 

もちろん、それは一般層に限った事ではない。今メディアを動かしている30後半から〜40代などは、そのかなりの層が闘魂三銃士や、四天王プロレスを体験してきた世代である。そういう人たちが、ここぞとばかりにプロレスを表に出そう、と躍起になっても決しておかしくはない。そもそも、日本においてテレビという存在を世間に広めたのも、プロレス、力道山のおかげである。事実、どんなに視聴率が落ちてもテレ朝と日テレがプロレスを切らなかったのも、上層部からの「テレビはプロレスありきで始まったのだから、馬場、猪木が生きているうちは放送してやってくれ」という話を聞いた事がある。テレビの普及に、プロレスがどんなジャンルよりも貢献したのは疑いのない事実なのである。

 

という訳で、プロレスと格闘技に決定的に差があるのはそこである。過去に格闘家が手柄を立てた件に関してはあるのかあったのかもあまり記憶にないのであるが、少なくとも今ほどバズったような記憶はない。それは、個人の手柄に対しては称賛しても、その人が関わる格闘技が発展しようがしまいが、大方の人には関係のない事だからである。プロレスはどんなに人気が落ちた時であっても、その存在そのものが消えかける事は決してなかったが、格闘技に関しては本当にその存在がないかのような時代が何度もあった。

 

大昔のキックボクシングなどはまさにそうであったし、比較的最近で言えばあれほどの栄華を誇ったK-1やPRIDEなどはほとんど跡形もないほどに消えてしまった。一応、その後継団体も誕生したとは言え、やはり長続きはせず、やがてテレビのゴールデンからも消えていった。最近ではRIZINが比較的成功はしているとは言え、やはり視聴率的にはかつてのPRIDEには遠く及ばない。今は朝倉兄弟の活躍のおかげもあるが、彼らの引退後はどうなるか分からない。

 

しかし、プロレスはどんなにヤバい時代が続いても、決してその存在が消滅する事はなかった。プロレスはボクシングのような協会などなく、会社や個人によって成り立っているものなので、つまりは需要がなければ倒産して消滅するしかない代物なのである。しかし、それでも毎日必ず日本のどこかでプロレス興行は行われている。つまり、それだけの需要があると言う訳である。

 

かなり話は飛んでしまったが、それだけプロレスというものは得体の知れない、言葉では表現出来ないだけの魅力があるというものなのである。そして、今回のオーカーンの行動はもちろんだが、その後のコメントや振る舞いにも非常に感動させられた。そして、正義はもちろん大事だが、実際にそれを行動として示すには強さが必要、つまりそのいずれをも兼ね備えているのが、「プロレスラー」という訳である。リング上での強さが、本物だという事を実際に示してくれたのだ。プロレスファンとしてこれ以上に誇りに思える事はあるまい。本当に素晴らしいの一言である。