ネオジオを愛す・その1 | ONCE IN A LIFETIME

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フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

一応便宜上ではアーケード版がMVS、家庭用ではネオジオとされているが、基本的に当時のゲーマーはほとんど「ネオジオ」で統一して特に区別もすることなく呼んでいたので、ここではネオジオで統一する。「ゲームカタログ」のサイトでは、ネオジオ版も移植にカテゴライズされているが、中身は同じで起動させるハードによってアーケード版かネオジオ版かで差異が出るだけの事らしいので、ネオジオ版が移植版、と言うのは少し違う気もする。少なくとも、リアルタイム世代は皆そう思うだろう。

 

と言う訳で、私がそのネオジオの名前を知ったのは当然リリースされた頃である。確か1990年の4月頃のファミ通であったかと思うが、率直な感想を言えば、正直規模的には中堅と言う印象でしかなかった旧SNKが、何故いきなりオリジナルハードを発売するのかがまず不思議であった。当時はまだゲーセンには通っていなかったものの、ファミコンですらSNKのゲームはプレイした事がなかったので、まあそういった感想を抱いてしまったのはやむを得なかった。

 

一応、当時の本体価格は58000円、ソフト一本が30000円ほどであったと記憶しているが、当時の家庭用への展開はレンタルが中心であったと思うので、実際に買った人はほとんどいなかったのではないかと思う。ソフト自体もラインナップは多かったものの、これと言った大ヒット作品もなかったので、まだ知る人ぞ知る的なハードだった。

 

翌年7月、突然ハードとソフトのいずれも大幅値下げを敢行、本体は48800円とかで発売されるようになった。すべて私の記憶を頼りに書いているので、間違いがあるかも知れないが、概ねこんな感じだった。ソフトのラインナップも充実し、さらにそのほとんどが50メガビット前後と言う、SFCですら8メガビットが限界だった当時としては途方もない容量であり、当時大ヒットしていた「ストリートファイターII」が48メガビットとかだったから、それ以上のゲームがほとんどだった、と言う事だ。

 

そして、どこのゲーセンにも大抵一台はMVS筐体が設置されていたものの、まだこれと言ったヒット作もなかったため、台が空いている事がほとんどだった。話題になったのは、久々の続編である「ASOII」と、ファイナルファイトin大阪の「バーニングファイト」ぐらいだっただろう。特に、後者はまだオリジナルの「ファイナルファイト」がゲーセンで出回っていた時代であったため、露骨なパクリに唖然としたものである。

 

基本的に当時の私はそれなりのヒット作でないとプレイしていなかったし、特にストIIブームの真っ最中でもあったので、正直ネオジオには眼中になかった。私の友人は「クロスソード」をよくプレイしていたのだが、私自身その手のゲームは苦手なのでやろうとは思わなかった。そのように、ゲーマーからの注目度は決して高いネオジオではなかったが、その年の秋以降遂に注目を浴びる事となった。そのきっかけとなったのが、かの「餓狼伝説」である。