ゲームボーイを愛す・その7 | ONCE IN A LIFETIME

ONCE IN A LIFETIME

フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

ウィザードリィ外伝I以降、ゲームボーイは完全に下火となったため、その辺りのゲームに関してはほとんど記憶にない。1991年の年末にはSaGaの最終作である3も発売されたが、画面から感じたテイストが何か前作とまでは異なっていたため、当時から今の今まで一度もプレイする事はなかった。実際、前作までとは色々な面で大きく異なるようであり、私の予感は当たっていたようである。

 

それから月日は流れ、私が次に買ったソフトも「ウィザードリィ外伝II」であった。 こちらもSFC版のV同様、アスキーからのはがきで知ったのだが、実際に買ったのは翌年3月頃の事である。当時、小田急線の相模大野駅周辺に良く通っていたのだが、そこの銀座通りのローソンは、当時半分ぐらいのスペースが本屋であり、そこでたまたま「ウィザードリィ外伝IIのすべて」を見つけたのだ。本にカバーがかけられていなかったので、ここを通る度に読みふけっていったのだが、そのうちゲーム自体も欲しくなってきてしまい、同じく相模大野にかつて存在したサトームセンにて購入したのだ。

 

この銀座通りのローソンは今も現存しているのだが、中にはそれ以来入っていないためにまだ本が多いのかは分からない。しかし、Amazonなどない時代、半分コンビニで半分本屋と言う形態が当時は結構存在したものだった。当時は本屋と言うのはゲーセンの次ぐらいにワクワクさせられる場所であったので、見つける度に中に入っていったものである。

 

そして、相模大野のサトームセンは、全てのハードのゲームが満遍なく揃えられており、入荷量が少ないであろうゲームを入手するには絶好の場所だったのだ。当然、このウィザードリィ外伝IIもターゲットが限定されすぎているために出荷量が多くはないだろう、と思ったため、そこへ行って買ったのである。実際、他のお店で見た記憶はほとんどない。

 

さて、前作ではバグの影響もありいまひとつ楽しめなかった私、と言うかおそらくその時点ですらクリアしていなかったかも知れないが、かのベニー松山氏がゲームデザインを手がけたIIは非常に名作であり、最後までダレる事無くプレイ出来たものである。実際、中盤の中ボスで全員石化してしまい全滅の憂き目にあってしまった事はあったのだが、その際も新たにパーティを作って始めていった。当然、リセット技は存在はするのであるが、初代のゲームボーイは全てのボタンを同時押しでリセット、と言う仕様のため、要は間に合わなかったという事である。

 

そして、それが終わった後ぐらいに「外伝Iのすべて」も発見、それを見てようやく外伝Iもクリア出来たのである。基本、ウィザードリィのクリアレベルは13と言うのが定説なのだが、この外伝シリーズにはそれらが全く当てはまらず、いずれのシリーズも30超えてようやくクリアできるか、と言うレベルだったかと思う。そのため、終盤の敵の経験値がインフレしており、ボス級は一度の戦闘で10万以上の経験値が入る事もざらである。

 

オリジナルのVなどはその辺りのバランスがいまいちで、日本のファンにはかなり不満であったのだが、外伝はさすがに日本人が作った事もあって良く考えられており、アイテム探しも含めてクリア後もかなり長く遊べるようになっている。ただ、それを考慮しても総合的に出来が良いのは圧倒的に外伝IIであり、そのため手放す人が少なく後にプレミア化していったという。