テトリスの発売は1989年6月14日の事であった。この日、当然近所のゲーム屋に向かったのであるが、何故か置いておらず、仕方なく電車にのって隣の駅まで行ったのであるがここにもなく、翌日になってやっと購入出来た。日本において最初にテトリスを著名にさせたのは、もちろん前年12月にリリースされたセガのアーケード版である。そして、ほぼ同時期にBPSよりファミコン版が発売された。しかし、これがかなり今一つな出来だったせいか、家庭用にテトリスブームが訪れる事はなかったのである。
理由は簡単、初期のパソコン版を基にしたファミコン版は、十字キーの下で回転、Aボタンで一気に落下、と言う、後のスタンダードとはかけ離れた操作性だったのだ。そして、モードは全てノルマ制であり、アーケード版のようなエンドレスモードは搭載もされていない。さらに、ファミコンの色数限界により見た目も微妙だったと言える。
当時、アーケード版の爆発的ヒットにより、「下で落下、ボタンで回転」がすでに日本人にとっての「スタンダード」となっていたので、つまりはこのファミコン版はおよびでなかったのである。そして、もちろんセガもメガドライブ版の発売を予定していた。当時、「大魔界村」までこれといった強力なキラーソフトがなかったセガにとって、このテトリスは大きな起爆剤となったはずである。しかし、結局それが日の目を見る事はなかった。この経緯はWikipediaにでも載っているとは思うが、当時のゲーマーたちはそんな裏事情は知る由もなかったので、任天堂の圧力により販売中止に追い込まれた、と多くのユーザーたちが信じ切ってしまっていたものだ。
当時、すでにセガユーザーは任天堂を目の敵にしていたものだが、これにより益々任天堂VSセガユーザーの確執は深まる事となる。という訳で、当時ファミ通で画面写真まで公開されたメガドライブ版テトリスはお蔵入りとなり、ゲームボーイ版のみが日の目を見る事となった。そして、もちろんこのGB版はアーケード版準拠の出来である。もちろん発売と同時に爆発的な大ヒットを記録、ソフトはもちろんだがその前に本体そのものが売り切れ続出、瞬く間に店頭から在庫が消える事となってしまった。
もちろん、私はすでに本体を所有していたので、そんな事は気にも留めた事はなかった。ただ、当時は転売屋こそ蔓延ってはいなかったものの、その代わりに小規模店や露店などの「抱き合わせ販売」が露骨に行われていた。つまり、本体とクソゲーを同時に売りつけるというものである。私はファミ通でしかその実態は見た事はないのであるが、これは「ドラクエIV」などの人気ソフトでも行われていたという事であり、当時はかなり問題になった行為でもあった。
まあそんな事もあり、家庭用ユーザーにおけるテトリスの知名度を一気に引き上げたのがこのゲームボーイ版と言う訳である。そして、当然私が初めてプレイしたテトリスもこれであった。ぶっちゃけどういったゲームなのかもよくわからないまま買ったのであるが、それはもう瞬く間に夢中になったものである。アーケード版と比べると横移動が遅かったり、ずらし入れが出来ないなどの問題こそあったものの、そのゲーム性が携帯機とは抜群に良かった事もあって、ここからGBへのパズルゲームの粗製乱造が始まった訳である。