スーパーファミコンを愛す・その16 | ONCE IN A LIFETIME

ONCE IN A LIFETIME

フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

1993年下半期は、スーパーストリートファイターIIや餓狼伝説SPECIALなどのアーケードの超大作、そしてPCEではネオジオ格ゲーの移植を実現させたアーケードカードの発表など、完全にそちらが主流となっていたのでSFCからはほとんど離れていた。しかし、ストIIターボのおかげで稼働率は高く、飽きずにひたすらプレイしていったものだった。

 

そして、当時の年末の風物詩と言えば、SFC版のファイプロシリーズであり、SFC3作目のファイナルバウトが発売されていた。しかし、当時は余程のゲームでない限り新品では買わなかったため、実際にプレイしたのは半年後ぐらいの事である。その代わりという事でもないが、1月4日に新宿のヨドバシカメラ東口店に行った際、ドラクエVが5000円ほどで売られていたため、まだ未購入だった私は買ってしまった。

 

何故1月4日と言うのは、当時すでに恒例化していた新日本プロレスの1.4東京ドーム大会を見に行っていたからである。その当時は都内に行く事自体まだまだ大イベントだったので、プロレスを見に行く前は大抵新宿のゲーセンで遊んでいたものである。ただ、このドラクエVに関しては完全に予定外だったので、さすがにドームの観衆の中でドラクエVを持っていたのは自分ひとりだったと思われる。

 

そして、ようやく自分自身のを入手出来たという事で、クリアしてからもそれなりにプレイしていったと思う。ただ、ゲーム的にはシリーズで最も自由度が低く、さらに馬車があるにも関わらず戦闘は3人パーティまでという謎ルールのおかげで、個人的には満足度はいまひとつだった。後者に関しては、中村光一氏か誰かが「戦略性のため」と言うような事を話していたかと思うが、4人でも十分戦略を楽しめるし、実際3人は失敗だった、と言っていた話も聞いた事はある。


そんな事もあって、ストーリーこそ夢中になったものの、心底満足出来たとは言えなかったかも知れない。グラフィックも当時のSFCの平均からしても今一つと言えたし、同年のFFVが非常に評価が高かった事もあって、相対的に評価が下がってしまったとも言えた。

 

そして、同年の5月ぐらいに、ようやく前述のファイプロIII・ファイナルバウトを購入した。こちらは前作よりも4メガビットプラスの12メガビットROMを使用している事もあって、技のモーションが追加され大分滑らかになった。そして、まだまだレスラーサイズによる技制限こそあったものの、念願のエディットモードが追加されたのもこのIIIからであった。そして、4人同時プレイまで可能なバトルロイヤルもこのIIIからであったが、さすがに4人を集めるのは困難だったため、全人対戦と言うのは行ったことはない。

 

そして、ファイプロと言えばケイブンシャの攻略本が定番だった。ちゃんとプロレスに見識のある人が書いているので、読むとニヤリとしてしまう所も多い名著であったのだが、このIIIに関してはファミ通も出していた。こちらはそのケイブンシャ以上にディープであり、かなりのプロレス通が書いていたと思われるので、普通に読み物として良く出来ていた本だった。そして、その巻末にはゲーム関係者による夢の対決が執筆されており、特に当時のファミ通編集長であった浜村氏のものは見事だった。