その次に購入したソフトが、ローンチのひとつである「ドンキーコング」だった。こちらは前年にアーケード版を見た影響と、そして以前に触れたように初めてプレイしたファミコンソフトだったというのがきっかけだ。しかし、いざプレイしてみると明らかにイーアルカンフーの方が面白かったので、こちらはあまり楽しめなかった。すでにアーケード版からも4年ほど経っており、当時としても昔のゲームという感じだったので、まあそれも否めなかった。
そして、本体購入数日後に発売されたのが、ファミコン版「スターフォース」である。確か、当時のコロコロにすでに「スターフォース999万点」なんて記事が載っていたのを覚えているが、一体なぜ発売直後にも関わらず、そんな記事を上げてていったのかはさっぱり不明である。因みにファミコン版は1000万の桁がないため、999万9900点が最高なのであるが、実はそれを超えると900万点に逆戻りしてしまうため、しっかりと調節しないとその値を残せないという難点がある。
因みに、このファミコン版は6月中旬頃の発売とずっと思っていたが、今調べると6月20日とある。確かに、それ以前だったらおそらくファミコン本体と同時に購入しているはずなので、下旬で辻褄が合うのであるが、スターソルジャーが上旬だったのでそれと混同していたのだと思う。
さて、このスターフォースであるが、当然アーケード版よりも遥かに簡単ではあるものの、当時の私にとっては難しい事この上なかった。キャラバン決勝の5分間では、大体宇宙ステーションのエリアに到達するのであるが、そこまですら進めなかったのだ。当然、連射も出来ないため、ラリオスの5万点ボーナスなど取れる訳もない。当時は連射は自分でしてこそ王道、という風潮だったので、ソフト連射などありもしない時代だったのだ。
同時期、ハドソンからハドソンジョイスティックが発売された。黄色い操縦桿のあれである。連射は非常にしやすいボタンなのだが、肝心の操縦桿がこの上なくプレイしづらかった。実際、そのまま握るのではなく、根本をつまむようにして操作するのが基本なのだが、当時は誰もそんな事は知らなかった。なので、まともに楽しめるようになったのは、9月頃に発売されたジョイボールを買ってからである。
のちの任天堂社長、岩田聡氏を世に送り出したHAL研究所によるコントローラーだったが、これはファミコン史上初の連射装置を搭載したハードだった。しかし、それは良いのであるが、肝心のコントローラーがボール状で非常に操作しづらい代物だった。のち、ひとつもこの形状のものが出ていない事からもお察しだろう。なので、ほとんど人たちは連射ボタンだけ押して、十字キーでプレイしていったものだが、この特殊な形状と連射装置のおかげで、知名度だけはやけに高い。