ファミリーコンピュータを愛す・その1 | ONCE IN A LIFETIME

ONCE IN A LIFETIME

フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

これまで述べてきたよう、私が生涯で最も愛したハードはセガサターンであり、次点でXbox360やPS4と言った所である。つまり、任天堂のハードは含まれていないという事にもなってしまうのであるが、もちろん、私が初めて触れた家庭用の据え置きハードは「ファミリーコンピュータ」を置いて他になく、そして、そのファミコン抜きで日本はもちろん、世界の家庭用ゲーム史を語る事は絶対に出来ない。という訳で、ここからはその伝説的ハードとも言える「任天堂・ファミリーコンピュータ」を語っていこうかと思う。

 

家庭用ゲームの王者であり、かつ代名詞でもあったファミコンについては語るまでもない、というのが長年常識ではあったのだが、気がつけばファミコンが誕生して今年でなんと38年。ファミコンのファの字も知らない人が多くいて当たり前の時代となってしまった。今ではググればなんでも出てくる時代であるが、それでもリアルタイムで体験した人ではないと分からない事がまだまだ沢山あるというものだ。

 

さて、ファミコンが発売されたのは1983年7月の事であるのだが、実はこの時代は各社おもちゃメーカーからも家庭用ハードが多く発売されており、後のPS・SS時代並に家庭用戦国時代でもあったのだ。なので、この2年後には市場を制圧する王者・ファミコンであっても、この時はまだ「One of them」に過ぎなかった。

 

この時代、まだゲーム専門誌はなく、あるのはPC専門誌だけだった。しかし、PCなど極めてマニアックな市場であったので、ほとんどの人はCMを通じてその存在を知る事となった。という訳で、この時代は様々な家庭用ゲーム機のCMをテレビで見る事が出来たものである。私が覚えている限りでは、エポック社の「スーパーカセットビジョン」や、トミーの「ぴゅう太」、そしてセガの各種ハードなどである。何故セガだけハード名がないのかと言えば、単純に「アルファベットと数字」という、とても分かりづらくかつインパクト皆無の名称だったからである。なので、セガハードは単に「セガ」としか認識されていなかったのが通例だった。

 

ファミコンのCMに触れていないのは、単純に記憶にないからである。当時は今とは比較にならないぐらいテレビの影響力が大きかったので、毎晩親と一緒に見ていたものだったが、それでも記憶にない。もちろん、YouTubeには多くのCMがアップされているのだが、私には当時の記憶は全くないのだ。まあ、ファミコン以前はエポック社やトミーの方が遥かに知名度が高く、企業的にも大きかった分、CMをより多く流せていたという事なのだだろうか。この辺りの真意は不明である。

 

そんな私がファミコンというハードを初めて認識したのは、1984年8月頃に発売された小学館の増刊である「ナイスボーイ」のモノクロページにおいてだった。おそらく、これが最古の記憶ではなかったかと思う。