初代プレイステーションを愛す・その2 | ONCE IN A LIFETIME

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フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

以前も触れたが、1993年当時私が毎月読んでいた家庭用雑誌はPCエンジンFANのみであったかと思う。たまにメガドライブFANも目にしてはいたが、前者の方が次世代機情報に詳しかった事もあって、それに関する情報はほとんどそこから得ていた。もちろん、当時すでにまだ「ファミコン通信」だったファミ通はすでにトップシェアであったのだが、記事が「広く浅く、万人向け」であったので、ディープな私はすでにほとんど読む事はなかったのだ。

 

一応、次世代機として最初のリリースとなったのは「3DO」であったのだが、ゲーム機ではなくマルチメディアマシーンとして売り出された事、そして当時定価ベースで7万円を超えていた事などが災いし、日本ではほとんど普及する事はなかった。なので、ここで言う次世代機というのはあくまでプレイステーション、セガサターン、そしてPC-FXの3機種を指す。しかし、PC-FXに関してはスペックが発表された時から「これはダメだ」感が満載、そして案の定となったので、実質発売前からPSとSSの2強であった。

 

当たり前だが、ゲーム業界の実績はセガが圧倒的だった。SSのスペックも、当時のユーザーの願望を十分満たすものであり、発売前の期待感は相当高いものがあったのだ。しかし、PSはSSよりもさらに3Dポリゴンに注力し、すでにアーケードでは主流にになりつつあった3D時代を予見していた。さらに、その期待を示すかのように、新規参入のハードながらサードパーティの数が圧倒的だったのである。そこにはナムコやコナミと言った大手も含まれており、しかもローンチとして「リッジレーサー」と「極上パロディウス」という、当時を代表するアーケードゲームの名前も含まれていたのだ。

 

1993年にリリースされた「リッジレーサー」は、アーケードゲームとして初めてポリゴンにテクスチャを貼ることに成功した革命的なゲームだった。それまでのポリゴンと言えば、三角形で構成された、カクカクでのっぺりした無機質なもの、というのが常識であったため、リッジレーサーを目の当たりにしたゲーマーたちは皆驚愕したものである。

 

そして、「極上パロディウス」は、1994年度のベストシューティング賞を受賞し、同年最もインカムの高かったシューティングゲームであった。現在では同年秋にリリースされた「ダライアス外伝」の方が遥かに評価が高いものの、リアルタイムでは極パロの方が人気があったのである。同時に私が最も同年プレイしたゲームでもあったので、これだけでも欲しいと思わざるを得なかった。

 

これらを見て分かるように、YouTubeも無料体験版もない当時として、新ハードの立ち上げにはアーケードの人気作というのがどうしても必要だったのである。今は完全に家庭用の市場の方が上であるが、その家庭用普及の影にはアーケードゲームの存在なくしてはあり得なかったという事をここでは改めて示しておきたい。