現在、最も稼働率が高いのはもちろんPS4である。なので、当然PS4は歴代の中でも最も思い入れのあるPS本体と言っていい。しかし、それと同じくらい思い入れのあるのはやはり初代PSである。という訳で、ここでは改めて初代PSの思い出を語っていこうと思う。
リアル世代には常識であるが、「プレイステーション」という名前が初めてメディアに登場したのはソニー開発の「SFC用CD-ROMユニット」として紹介された時の事である。SFC用CD-ROMの噂自体は1991年頃から出ていたと思うが、翌1992年頃にはほぼ決定事項となっていたかと思う。それが一変、任天堂は突然ソニーと袂を分ち、オランダの家電メーカーフィリップスとCDユニットを開発するという発表がなされた。
この辺の経緯は当時は全く不明であったのだが、当然ユーザーにとっても寝耳に水の話であった。天下の任天堂とソニーがタッグを組む、というだけでも夢のような話であり、それが突然ご破産になったのだからこれは失望も大きかったものである。あくまで噂であるが、私が知る限りでは「読み込み皆無」「バッファRAMの最低が8Mビット」という、1992年当時のスペックを考えれば厳しすぎる話であり、その辺りの無理難題の要求がネックとなったのではないか、というのがもっぱらな話だった。
確かに、1994年発売の次世代機がようやく倍速、PCでさえ3倍速の時代であったので、それより2年前に家庭用で倍速というのはコストがかかりすぎるのは間違いない。さらに、PCECD-ROM2のバッファRAMが2Mビットの時代、いきなり8Mビットというのは考えられないほど巨大な容量でもあった。メガCDは脅威の6Mビットであったが、SFCはさらに2Mビット多く、同時にそれは当時の平均的なSFC用ROMカセットの容量であった。
つまり、1度のアクセスでFFIV全て読み込めてしまうのである。それを考えたら当時としてはとんでもない話であったし、同時にこれならストIIのモーション完全移植すら夢ではない、と心躍らせたものである。しかし、前述のように破談となったあげく、結局フィリップス社からもCD-ROMユニットは発売される事もなく、ROMカセットに終始したのは歴史が示す通りである。
そんな経緯であったのだが、「プレイステーション」という名称はなんだか心地よく、幻のハードとなりながらもユーザーの心には強く刻み込まれる名前となった。それが突然復活したのが、1993年から翌年にかける次世代機戦争の頃であった。