シューティングファン御用達のブランドである、M2 Shot Triggersから待望の新作である「究極タイガーヘリ」がこのほどリリースされた。家庭用にも移植された事もあり、アーケードゲーマー以外にも知名度は高く、東亜プランの代表作のひとつとして有名な作品でもある。
詳細はWikipediaや公式サイトをご覧いただくとして、ゲームが発売された1987年当時はまだ東亜プランの名前すら知らなかったはずなので、それが身近になったのはもっと後の事である。ストIIが発売された頃、当時やり込んでいた場所に同社の「TATSUJIN」と比較的マイナーな「ヴィマナ」が置いてあったのだが、そのどちらかが私にとって初の東亜プランのゲームであった。
前者はすでにMDに移植されており、その名前ぐらいは知っていたのであるが、当時の私にとってはあまりにも難しいゲームであり、このおかげでしばらく縦シューに苦手意識を抱いてしまったほどだ。何より厳しかったのは、ボムが緊急回避には使えない所である。これが横シューであれば、「グラディウス」のフォースフィールドやバリアが存在するのに対し、縦シューはそのほとんどが裸である。
そのためにボムが存在するのだが、当時はどういう訳だかボタンと同時に発動しない事がほとんどであり、当然自機も無敵にはならない。一応弾消しは出来るとは言え、余裕を持たないと無理だし、よってほとんど攻撃のために存在すると言って良い。「TATSUJIN」は押すと同時に発動されるとは言え、それでも自機は常に裸、かつ当たり判定もやけに大きい。さらに、当時はデフォで連射がないのは当然であり、手動でしなければならない。今とは労力が比ではなかったのだ。
なので、基本東亜プランや、その流れを組むシューティングは避けがちになっていた。よって、縦シューを比較的やるようになったのは「ソニックウイングス」以降の話である。そして、本題のこの「究極タイガー」に至っては、筐体を見る事すら皆無だった。すでに発売から4年近く経った頃の話なので、まあ無理もない話であるが、家庭用移植も買う事はなかったので、私が初めてプレイしたのは1996年頃に何故かバンプレストから発売された「東亜シューティングバトル1」である。
レトロゲーム復刻ブームに乗っかってリリースされたのだと思うが、出来は極めて良好だった。もちろん横画面でプレイせざるを得なかったが、元々の解像度もそう高くはなかった事からも、横画面でも普通にプレイできていたと思う。さすがに当時としては古いゲームスタイルであったが、これが予想以上に楽しめたものだ。全10面とかなり長いが、私は5面までが最高だった。
そして、当時の縦シューの特徴として、敵弾の速さに対して自機があまりにも遅い事である。「TATSUJIN」ではスピードアップが存在したが、この「究極タイガー」には存在しない。よって、見てからではほとんど間に合わない事が多いので、いわゆる「切り返し」と言うテクニックを駆使するのだ。のちの「雷電」などもそうだったと思うのだが、そのテクニックが最初に重視されたのはこの「究極タイガー」であったかと思う。
そして、初代PS版からもご無沙汰なので、まともにプレイしたのはおそらく20年ぶりぐらいとなるだろうか。正直、最初は購入も迷ったが、やはり歴史的なシューティングゲームを無視する事は出来ず購入した。今の縦シューと言えば「怒首領蜂」タイプがデフォであるが、それでも意外にも楽しめたものだ。やはり難しいと言わざるを得ないが、それなりに救済処置もあるし、一応万人にも楽しめるかと思う。
DLCでは家庭用もプレイ出来るが、当時最も評価が高かったのはPCE版である。横画面なのでやたらと移動が速いイメージだが、それは画面が横に広いからまあ当然であり、当時としても普通のアレンジだった。対照的に評価が低いのがMD版であり、これは当時のクロスレビューでも酷評されていたものである。