ストリートファイターIIを愛す・その13 | ONCE IN A LIFETIME

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フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

以前も触れたように、初代ストIIの時は葉書で抽選という形だったので、優勝者には悪いが「優勝イコール日本一」と素直に言えるものではなかったかと思う。その反省点を活かし、このストIIダッシュにおいてはなんと全国のゲーセンで予選を開催、そこで勝ち残ったのみが最終決戦となる東京会場にて日本一の座を争う、という、これぞまさに日本一を決めるに相応しい大会概要となったのだ。

 

もちろん私も参加はしてみたかったのであるが、発売から3ヶ月後にはもはや私のレベルでは手の届かないレベルにまで到達していたので、流石に断念した。まあ、これまで触れたようにそこまでダッシュに入れ込んではいなかった、と言うのももちろんあったのであるが、やはり負けたら2分でワンコイン失うというのはまだまだ学生には厳しかったのである。

 

決勝の模様は12月号ぐらいで紹介されていたと思うが、この時は前年に比べて画面写真が少なく、文章が主だったので記事的にはあまり迫力のあるものではなかった。また、まだストIIダッシュ自体は人気は保っていたが、ストII一色だった前年に対し、この時はSNKから100メガショック1弾となる「龍虎の拳」や、そしてカプコン自体からも「天地を喰らうII」や「カプコンワールド2」などの人気作も出ていたため、ダッシュ一色と言えるほどの状況でもなかったのである。

 

そんな頃、世間では何やら怪しげなストIIが出回っていた。いわゆる「レインボー」と称した海賊版である。しかし、ほぼ同時期に海外よりニューバージョンの噂も伝わっていたため、それと混同したオペレーターが誤って入荷してしまったため、かなりの数が広まってしまった。主にアジアからの海賊版とされているが、その対策としてカプコンが改めてリリースしたのが「ストリートファイターIIダッシュターボ」である。

 

なぜスピードを速くする事が海賊版対策となるのか今でも疑問なのであるが、これにより同年12月頃にはほぼ全てのダッシュがターボへと入れ替わっていった。今なら単なるアプデレベルなのだが、当時はこれでもニューゲーム扱いとされたため、多くの人たちから「また焼き直しか」との声が聞こえたものである。