今回の大会で気づいた事の一つとして、日本人のローマ字における表記が、他の漢字文化圏国と同じように元の姓名の順のままで表記されている事だった。理由はググればすぐに出てくるのでそちらを参照してもらった方が早いのであるが、これにより一部の方々が長らく訴え続けてきた日本人のローマ字表記の逆転問題が、ようやく国際舞台の場で実現したと言える。
しかし、あくまで姓名のままなのは現地と放送時の表記のみ。ネットや海外のサイト、そしてGoogleの英語版も全て従来のように逆のままである。その昔触れたかも知れないが、私が最初にこの逆転現象に違和感を抱いたのは、1996年のアトランタ大会においてだった。それまでローマ字表記になると、どこにおいても欧米表記が当たり前だと信じ込んでいた私は、他の漢字文化圏の国々の名前がそのまま姓名であることを知り、どうして彼らたちはそのままなのだろう、と思うようになっていった。
しかし、当時はネットはまだまだ黎明期であり、今のようにすぐに理由をググる事なんて出来なかった。ただ、言われてみれば餓狼伝説のキムは、KIM KAPHWANだったし、「ブルース・リーの神話」で見たブルースの父親の名前もLee Hoi Chuenとそのままの表記だったから、単純に中韓の人たちはそのままで良いんだ、とは思うようになってきた。つまり、何故他のアジアの人たちは変えなくて良いのかではなく、何故日本人だけが逆にしなければならないのか、と言う疑問が浮かぶようになっていったのだ。
その次の五輪となった1998年の長野大会においては、日本で開催しているにも関わらず、日本だけが変わるのはおかしい、と思った輩がいたのかどうかは定かではないが、中韓の名前まで欧米式となっていったのだ。当時もまだネットは黎明期であったので、これによる物議などは聞いた事はないのであるが、一度だけこれに関する疑問をどこかで拝見した事はあった。
もちろん、彼らも欧米に行けば、分かりやすいように欧米式にする事もあるし、また英語のニックネームを使う事も多いので、いわば郷に入っては郷に従えの精神である。しかし、それでも一般的なメディアは、要人を紹介する場合は全て元のままである。つまり鄧小平はDeng Xiaoping、習近平はXi Jinpingである。しかし、安倍晋三はやはりShinzo Abeのままだった。
まあ要は、いかに日本の要望によりこの五輪のオフィシャルプレスにおいては姓名表記となろうとも、100年以上続いた習慣はそう変える事は出来ない、という事だ。私も上記のように、なぜ日本人だけが、という疑問もずっとあったと言えばあったのであるが、自身が英語を話せるようになり、外国人とコミュニケーションを取れるようになると、やはり欧米式の方が分かりやすいし、さらに言えば英語名を持つ事によってさらに円滑なコミュニケーションを取れるようになった。
なので、個人的な見解を言うと、このようにもう100年以上も続いているんだからもうこのままでいいじゃん、と言う事である。