最近、船木誠勝X獣神サンダーライガーのコラボがYouTube上で公開され、パンクラス旗揚げ当初のエピソードを聞く事ができた。当時は理想の真剣勝負のプロレスを実現するために独立、そして旗揚げした、というのが公のイメージであったので、今になって実は他団体との差別化を図るため、というのが一番だったというのは正直驚いたものだった。という訳で、個人的なパンクラス旗揚げ当初の思い出を語っていこうかと思う。
まず、この1993年という年は、まだプロレス人気は活況であったものの、前年に比べたら多少勢いは落ちてきた感はあった。そんなマンネリ化脱却のため、新日本などはWARとの対抗戦、そして初の福岡ドーム大会、さらにはターザン山本に酷評された両国7連戦などを実施し、対する全日本プロレスは、それまで三沢の盟友だった川田利明が超世代軍を離れるなどの活性化が行われていた。
それでも、この年はまだ新日本プロレスが土曜午後4時での放送だったため、子供がファンになるきっかけが残されていたのは救いだった。翌年4月、深夜帯へと移行してしまい、そのきっかけを失う事となってしまったのだが、一応表向きの理由としては、新日本側の「毎週確実に放映してもらえるよう」と言う嘆願であったらしい。確かに、それによってゴルフ中継で潰れる事はほぼなくなってはいったのであるが、やはり子供がファンになるきっかけを自ら失ってしまったのは、やはり大きな愚策であったかと思う。これにより、ファンの新陳代謝がうまくいかなくなってしまったのだ。
まあそう言う訳で、前年までの勢い自体は失いつつはあったものの、それでもまだプロレス界は元気な時代であったと言っていい。そんな当時に最も一般的認知度が高かったのは、馬場や猪木は別格として、やはり大仁田厚、というか大仁田以外のレスラーはほとんど一般的知名度は皆無に等しかった。橋本真也などはその辺りをかなり気にしていたようであり、三銃士の中でも積極的にメディアに出演するようにしていたものの、それでも大仁田の知名度までには到底及ぶ事はなかったものだ。
大仁田以前、最も露出が高かったのは前田日明であったのだが、この当時は怪我の影響などもあり一般メディアにはあまり出演する事はなかった。それと入れ替わるように、「平成の格闘王」とあだ名された高田延彦が、TBSのバックアップを受けた事により一気に知名度を高めていき、年末に結婚する事となる向井亜希のプッシュもあって、翌年にはフジテレビのスポーツキャスターの座にまで居座る事となった。
なので、確かにパンクラスのレスラーたちは、彼らに比べれば圧倒的に一般的認知度が低かったのは確かである。なので、大仁田のFMW同様、「他とは違う事」をせざるを得なかったのは確かにそれもそうだな、と今更ながら思う。しかし、プロレスメディアの主流がテレビから完全に雑誌と東スポに移行した当時、もはやプロレスは「好きな人だけがみるもの」というサブカル化していったので、正直観客動員と一般的知名度などはあまり関係なかったように思う。
まあそう言う時代背景であったのだが、当の私はと言えば、1992年の熱狂ぶりから考えると、多少私の熱も落ちていた。これはWWEの総帥、Vince McMahonが「プロレスファンは試合を流しているだけではすぐに飽きる」と語っていたように、プロレスとは本来そういうものなのだ。なので、最初に触れたよう、新日本などはファンを飽きさせないために、他団体の選手を呼んだり、対抗戦などを実施したりして、ありとあらゆる手を尽くしてファンの目を止まらせておこうとしているのだ。
しかし、それでも自分自身飽きてきた感があったので、それまであまり関心のなかったUWF系に手を出してみた。幸い、学校帰りにあったレンテルビデオ店のアコムには、これみよがしにプロレスビデオが一面を締めていたので、とりあえず面白そうなカードの試合から借りて行った。確か前田VS高田がメインの、1989年の名古屋大会であったかと思うが、やはり普通のプロレスと比べたら地味な事この上なく、正直睡魔との闘いであり結局借りたのはそれっきりだった。
そして、普通のプロレスに戻って行った訳であるが、そんな初夏に旗揚げが発表されたのがパンクラスだった。それから2ヶ月後ぐらい、合宿の様子が報道されたが、いずれのレスラーも一般的なプロレスラー像からはかけ離れた、脂肪が綺麗に落とされたシェイプな肉体を披露していた。
力道山の影響により相撲上がりのレスラーが多かったせいか、日本の一般的なレスラー像というのは正直あまり格好いいものではなかった。いわゆるあんこ型も少なくなかったのであるが、当時の認識曰く「筋肉にうっすら脂肪が乗っている方が、衝撃が吸収されてよい」であり、レスラー未体験のファンにとってはそう言われれば納得する以外はなかった。しかし、それでも疑問は残り、単にだらけているだけではないのか、という疑念が消える事はなかった。なぜか、それは日本プロレスの象徴であるアントニオ猪木は、一貫して体脂肪の少ない見事な肉体を誇っていたからである。
その影響で、少なくとも猪木の影響下にあるレスラーたちは、ジュニア時代の藤波辰爾をはじめとして、均整のとれたレスラーが多かったように思える。しかし、それでも民族の違いか、外国人レスラーのそれには及ばなかった。当時は子供心に、「どうして外国人はザ・ロードウォリアーズや、ミル・マスカラスのような凄い肉体が多いのに、日本人はそうではないのだろう」という疑問が常に湧いていたものだった。
そんな幼き日々の外国人コンプレックスを払拭してくれたのが、パンクラスだったという訳だ。これにより私のパンクラスへの興味は一気に高まり、あとは旗揚げを待つばかりとなった。