反社会性パーソナリティ障害 | ONCE IN A LIFETIME

ONCE IN A LIFETIME

フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

巨大掲示板の黎明期、神奈川県の玄倉川で、散々の警告を無視した挙句、中洲に取り残された数人が流されて死亡するという、いわゆる「DQNの川流れ」という事件があった。当時はまだネットも今ほど普及はしておらず、当然スマホなんてものは影も形もなかったので、テレビにおいてその一部始終を知ったのであるが、まあ正直な感想を述べてしまうと「どうして世の中にはこんなクズのような人間が存在してしまうのだろう」だった。

 

単に教育を受けていない、という話で片付けてしまうと、一応日本人は中学卒業までの9年間は義務教育なので、よほど特殊な状況でもない限りそれをまっとうしていくはずである。なので、一概に教育のせいとは片付けられないので、何が原因なのか、と割と疑問であったのだが、まあこのブログでよく触れる橘氏の「言ってはいけない」によると、知能の7割は遺伝で決まってしまうらしいので、要は生まれながらに知能が低かった、という事だけである。

 

そうなると身も蓋もない話となってしまうのだが、当然「類は友を呼ぶ」という訳で、同じレベルの人間が集まってしまい、そして同じようなレベルの子供が…という訳で負の連鎖が続いてしまうという訳だ。IQは20異なると会話が噛み合わなくなるらしいのであるが、正直10程度異なるだけでも同じ付き合いは出来なくなるだろう。これは鍛えられるかどうか分からないが、おそらくはキン肉マンの超人強度よろしく、生まれながらに決まってしまうものであると思われるので、まあどうにもならないものである。

 

まあ、そういう連中とは関わり合いにならなければ良い話なのであるが、前にも触れたように、そう言った知的レベルの低い人間にも生きやすくしましょう、というのがこの日本という国であるので、ITという側面において完全に中国に遅れをとってしまった要因のひとつがそこにあるのは間違いないだろう。コロナ禍の最中において、路上での酒飲みや、ノーマスク運動をしている連中なども、そのような連中だろうし、全く知的レベルや民度の高い連中にとっては迷惑極まりない存在と言える。

 

自分らからしたら、そんな自身の恥ずかしい民度や振る舞いが恥ずかしいと思わないのだろうか、と不思議で仕方がないのであるが、そう思わないからこそ出来る訳であり、それはもうどうしようもない話である。当然、真面目な人間たちは常にそういう連中にイライラさせられ、ストレスを溜めるばかりであるので、「憎まれっ子世に憚る」の諺が心底理解できるというものだ。