YouTubeに「プロレス女子が急増」という、依然フジテレビの番組で放映された特集を視聴する事が出来るが、棚橋弘至の年齢が38という事から、時期的に2015年上半期ぐらいに放映されたものと思われる。なので、5年以上前からプロレス女子という言葉が存在していた、という事が窺い知れるが、当時はまだネットで情報を得る程度であり、実際にその状況を目の当たりにする事はなかった。
そして、2018年1月4日のレッスルキングダム12を境として、再び新日本プロレスの会場に足を運ぶようになったのであるが、とりあえずきっかけとなったそのドーム大会においては、特に女子が多いとは感じられなかった。しかし、3月の旗揚げ記念日、そして4月の両国国技館に足を運んだ際、以前、90年代に通っていた頃と比べると明らかに女子率が高い事に気付いた。しかも、夫婦やカップルではなく、普通に女子同士で来ている人の方が圧倒的に多いのである。プロレスファンの母数としては、ドーム大会を連発していた90年代の方が多いとは思われるのであるが、女子率で言えば比較にならない。この時になって、いわゆるステマなどではなく、本当に女子のファンが増えている事を実感したのだった。
力道山時代からの映像を見る限り、まず女性ファンを急増させたのは、やはりドリーとテリーのザ・ファンクスであったかと思う。1977年12月のオープンタッグ決勝を機として人気が爆発したと言われるが、テリーが最初に引退する1983年までは、どの映像を見てもチアガール、いわゆるすでに死語に近い親衛隊なる集団を確認出来るものだ。
対する新日本、いわば猪木信者はさすがに圧倒的に男性ばかりであったが、全盛期の猪木は圧倒的にイケメンであり、普通に考えたら女性ファンが多くても決して不思議ではないはずである。実際、私の母親も、猪木の引退記念特番で初めて過去の試合を見た際、「猪木かっこいいね」と言ったほどである。さらに、「アリの追悼特番」においても、若い女性からも猪木かっこいいというツイートが多く見られたものだった。まあ、当時はすでに既婚者だったとか、その辺りも影響してくるのかも知れないが、少なくとも猪木がプロレス史上においても屈指の色男だった事は間違いない。もちろん、だからこそあれほどのスーパースターであり続けた訳であるのだが。
そんな野郎共ばかりだった新日本の会場に、女性の足を運ばせたのが帰国したばかりの藤波辰爾だったとされる。田中ケロ元リングアナによれば、その後の闘魂三銃士など比べ物にならないほど凄かった、とされるが、まあジュニア時代の姿を見ればそれも納得である。30代を迎えてからも、当時のファミコン通信に「おばあちゃんがプロレスを見ていて、突然この藤波っていう男と結婚したくなったよ」と呟き出した、って言うほどだからさすがである。
そして、1990年、三沢光晴率いる超世代軍目当ての女性ファンが急増する。この辺りから再びプロレスを見始めたのであるが、確かに鶴田と天龍がトップになった以降の全日本の頃とは、目に見えて女性ファンの比率が異なっていた。基本、女性ファンは結婚するとは離れてしまうものなのであるが、三沢に関しては結婚したのがタイガーマスクの頃であり、超世代軍以降にファンになった人たちはその事実を知らない人たちも多かったため、それでかなりの女性ファンを繋ぎ止める事が出来ていたと思う。
対する新日本はやはり武藤敬司がダントツで人気があったが、それでも全日本ほど女性ファンの比率は多くはなかったように思える。やはり伝統的に新日本はそのような傾向があるのだろうか。その武藤も、1992年に早々と結婚を発表してしまったので、その後は目に見えて女性ファンの数も減って行った。そして、そのあたりから4年ほど会場に足を運んでいったのであるが、黄色い声援は皆無であり、ほとんどが男性客で埋め尽くされていた。
そして、長きに渡る暗黒期を迎えたのちの、ブシロード買収後の新日本に至ってはもう見ての通りである。公には認めていないものの、高橋本をきっかけとしてプロレスの内情がもはや当たり前に知られる事となった今、団体としても開き直りが見られ、あからさまに顔が良くないとトップは張れないようになった。そして、昭和のレスラーの「ある程度体脂肪率が多い方がダメージが少ない」と言う戯言も、棚橋や飯伏の肉体を見ても分かる通りそれらは完全に過去の遺物として存在を否定される事となった。
まあ、プロレスファンの分母的にはかつてほどは多くはないので、会場以外でプロレス女子と出会う事は私の経験上ほとんど皆無に等しいのであるが、まあそれでもプロレスのイメージアップに貢献してくれているのは嬉しい限りである。