今やプロレスと格闘技が一緒くたに語られる事は皆無であろう。その最強幻想がはがされたのは当然グレイシー一族を発端とするUFCの登場であり、MMAが一大ムーブメントを迎えると、プロレスラーはことごとく返り討ちにあい、そしてそれにとどめを刺したのが元新日本プロレスレフェリーのミスター高橋氏による暴露本である。
前回も触れたよう、このタイミングと同時に新日本プロレスがかつてないほどの暗黒期を迎えてしまい、本当に日本のプロレスは終わったと私ですら思っていた。まあ、実際にはその裏で、従来のプロレスを頑なに守り続けたNOAHやドラゴンゲートなどのおかげで、全く火が消える事などはなかったのであるが、それでも業界の盟主である新日本の凋落は業界に大変なダメージを与えたものだった。
しかし、2012年のブシロード買収、そして新たなスターであるオカダ・カズチカの凱旋により、それまでが何だったのかと思えるぐらいに、一気に息を吹き返していき、あとはもう周知のとおりだ。
もちろん、プロレスの仕組み自体は公にはしていないものの、選手もファンが理解している事を承知の上なムーブメントがかなり目立ち、その辺りはもはや選手も割り切ってるような様子がうかがえる。もちろん、かつてのようなシュートマッチなどはありえず、もし今そんなことをしたら永久追放だろう。
なので、ある意味では非常に健全となった現在のプロレスであるが、それでも私のような「最強幻想」に強い憧れを抱いていたファンにとってはどうしても完全にのめり込めないものもあるのは確かである。なので、プロレスラーがこれまで残してきた数々の逸話を読むたびに、今なお私の心は震わされていくのだ。
例えば、新日本に対して全日本は王道プロレスを貫き通していった事もあり、最強幻想とは対極に位置していた。しかし、例の木村政彦本の冒頭で記されていた、元柔道家の岩釣氏がスパーリングにおいて渕を極められなかった話、そしてそれに続いてコシロ・バジリ、のちのWWEのアイアン・シークを当てられて、めちゃめちゃにされた話などはもはや痛快な事この上ない。
カート・アングルの自伝などによれば、アメリカのアマチュア・レスラーはプロレスを敵役のように憎んでいる人が多かったと言われているが、それでも食べる手段として職業にプロレスラーを選んだ猛者たちは少なくなかった。柔道ではあるが、日本でも有名なバッドニュース・アレンなどもその典型である。日本では決してトップになる事はなく、名バイプレイヤー、悪く言えばジョバー、便利屋的なイメージが強かったが、モントリオール五輪の銅メダリストである時点で弱いわけがないのだ。
前述のアイアン・シークもポジション的にはアレンと同じような感じであったが、彼も五輪出場こそ果たしてはいないものの、アマチュアにおいて優れた経歴を持つ猛者中の猛者である。そんなプロレスでは負け役だった連中が、実はガチやらせたら物凄く強い、と言うのはやはり我々ファンの心を勇気づけてくれるものなのだ。
その昔、前田日明の「パワー・オブ・ドリーム」に夢中になり、今でも私のバイブルのひとつであるのだが、この本でもいかにプロレスラーは強くなくてはならない、と言う数々のエピソードがこれでもかと言うほど語られている。カール・ゴッチのエピソードなどはその最たるものであるが、個人的に好きなのは少年サンデーか何かで、タイガーマスクに挑戦、みたいな企画が生まれた際に、その予選として10人の素人と、新日本のレスラーが本当にガチで対決した、と言うエピソードだ。
最初は山本小鉄さんと、前田日明が関節技を極めてギブアップさせたそうだが、冗談の通じない藤原喜明は最初の2人を本当に殴って血の海に沈めた後、3人目に腕を極めたにも関わらず参ったしなかったので、無表情でそのままへし折ったそうである。この時本では「藤原さんの顔は冷たく相手を見下した。それはまさに、プロの目だった」のような感じで語られているが、私は本当にこのようなプロレスをなめ腐った連中を半殺しにしたかのような話が今でも大好きなのだ。
その本だけを読む限りだとちょっと誇張が過ぎてるとも思ったものだったが、1997年頃に佐山聡が初代タイガーマスク名義で笑っていいともに出演した際にも語っていたので、やはり本当なのであろう。昭和新日本には道場にもちょくちょく道場破りが来ていたらしいが、大体藤原や佐山らが片付けていたと言われている。
そして、日本人レスラーがアメリカ武者修行をしている際に、舐めてきたアメリカ人レスラーをシュートで返り討ちにした、と言うエピソードも大好きだ。アメリカで長年に渡り活躍した日本人と言えば、かのヒロ・マツダや上田馬之助、マサ斎藤にザ・グレート・カブキらのイメージがなんとなく強いが、揃いも揃ってシュートの心得のある連中ばかりである。高橋本でも語られているように、ビジネスの邪魔をしてきた地元のレスラーを、上田が持ち前の実力で腕を折り返り討ちにした、と言うエピソードなどは、やはり今なお我々の心を震わせてくれるのだ。
本人の話によれば、キラー・カーンなども似たような話はあるらしい。カーンが活躍した1980年代前半はどうだったのか分からないが、それ以前の1970年代ともなればまだまだ人種差別が根強かった時代であり、そんな時代にヒールとして活躍するのだからそれは並の度胸では務まらないだろう。何故昭和のレスラーたちは、あれほどの凄みがあったのかと言う答えがそれである。
そして、かのアントニオ猪木のシュートとしてすぐに思い浮かべるのが、韓国で行われたパク・ソン戦と、パキスタンで行われたあまりにも有名なアクラム・ペールワン戦の2つである。いずれの対決においても、猪木が意図的に目玉に指を突き入れていた事はあまりにも有名な話であるが、普通に考えれば完全に常軌を逸している。しかし、我々にとってはこれこそがさすがにアントニオ猪木であり、世間から舐められる事を最も嫌ったアントニオ猪木ならではこそ、だと納得してしまうのだ。
もちろん、これらの話は昭和だからこそ、であり、令和となった今となっては、冒頭でも触れたようにプロレスラーに格闘技的強さを求めるのはもはやナンセンスとも言える。しかし、それだけに、昭和のプロレスラーが見せてくれた凄み、と言うのは、何度も繰り返すようだが我々の心を熱くさせてたまらないのだ。