最近、ハドソン伝説なる同人誌が秋葉原BEEPにて発売されたので、通販で購入した。本当は店舗で買おうと思っていたのだが、運良くその当日に新宿でPS5を入手する事が出来たので、後日通販で購入した。一時は売り切れとなる人気ぶりであったが、予想以上に再販が早く昨日すぐに入手する事が出来た。
さて、ファミコン世代なら言わずもがな、ハドソンと言えばナムコより早いファミコン初のサードパーティであり、世代であればハドソンのゲームを避けて通れずにはいられなかったはずである。かつコロコロコミックの読者であれば尚更そうであり、実際の評価は芳しくなくとも、巧みな宣伝に釣られて購入した人たちも多かっただろう。
当然、私もそのうちのひとりであり、かつアーケードゲームやりたさにファミコンを購入した訳でもないので、初期の頃は所有ソフトのほとんどがハドソンのゲームであったかと思う。最初に購入したのははっきりとは覚えてはいないのであるが、おそらくスターフォースであっただろう。オリジナルはテーカン、のちのテクモ、現在のコーエーテクモゲームスであるのだが、ファミコン世代に関してはそのあまりの知名度の高さにより、アーケード版よりもやはりこちらのファミコン版の方がイメージが強く、あまり詳しくない人はハドソンオリジナルと信じ込んでいる人も多いのかも知れない。
そのファミコン版の知名度が飛躍的に高まったきっかけと言えば、当然1985年の全国キャラバン大会である。正直、キャラバンという単語そのもの自体意味不明であったのだが、要は日本で初めて行われた全国規模のファミコンゲーム大会なのである。そして、この時に司会を務めたのが、高橋名人と毛利名人であり、両氏の知名度を飛躍的に高めた最初の大会でもあったのだ。
元々、高橋名人自体はチャンピオンシップロードランナーのデモかなんかで司会を務めた時が、名人となるきっかけだったそうだが、実際参加した人以外で覚えている人などほとんどいないであろう。なので、ほとんどの人がその名を認識したのは、このキャラバン大会であったと思われる。
当然、主催者である小学館・コロコロコミックはこのスターフォースを発売直後から大プッシュ、いきなり999万点の道、みたいな特集が組まれていた事を覚えている。そして、その少しあとぐらいに、ハドソンからハドソンジョイスティックも発売された。翌年の映画で、両名人が使っていたあれである。アーケードのパーツを使用していたアスキースティックには及ぶべくもないが、それでも少なくともファミコンの十字キーよりかはやりやすく、特に連射が非常にしやすかった。
しかし、当時の私はスターフォースも、そのジョイスティックの扱いもままならず、非常に難しく感じたものだった。また、スターフォースはおそらくポーズ連打プレイを防ぐため、ポーズをかけると全ての敵キャラが消え、解除してからも数秒の間があるのだが、当時の私は意味が分からず故障かと思ったものだった。
そのスターフォースの最大の謎と言えば、もちろん地上絵と100万点ボーナスだ。キャラバンは5分が最大なので全く意味がないが、後にコロコロの袋とじで公開されたかと思う。アーケード版は本当に地上絵であったが、ファミコンでそんな容量が用意されているはずもなく、普通に単なるヒントである。しかし、公開されたからと言っても、当時の私には全くたどり着く事も出来なかった。
その後、週刊少年ジャンプの袋とじなどで公開されたのが、無敵技だ。ファミコンのコントローラーを2台使うというものであったが、まるでその難易度に歯が立たなかった私にとってはまさに天の恵みに等しかった。早速、友人宅の家で試したものであったが、当然正攻法の時の楽しさなどは微塵も感じられなかったものだ。
そして、もちろんスターフォース以外にも、多くのファミコン黎明期を飾ったハドソンソフトはプレイしていった。もちろん、ロードランナーとそのチャンピオンシップ、ナッツアンドミルクにバンゲリングベイと言った所だ。チャンピオンシップはハドソン公認の攻略本を用いながらも、夏休み中に50面クリアを達成したのであるが、肝心の説明書が行方不明となっており、惜しくも公式認定証がもらえなかったという苦い思い出がある。
バンゲリングベイはクソゲーの代名詞のイメージであるが、当時はとにかくソフトを買ってもらった以上徹底的にやり込まなければならなかったため、投げそうになりながらもそれなりにやり込んでいった。正直、操作性やルールがわかり辛いだけであり、ちゃんとプレイすればそれなりに楽しめるのであるが、なかなか当時のメインユーザーである小学生にはとっつきづらかったのだろう。