評価という名の魔物~鬼滅の刃17巻ネタバレあり~ | ONCE IN A LIFETIME

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フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

鬼滅の刃が大ヒットした理由の一つに、心に響く名言が数多い事、そして単なる憎まれ役でしかない敵キャラにもドラマが存在している事などが挙げられると思う。その中で、個人的に最も心に響いたのが、コミックス17巻に登場する善逸の兄弟子であった「獪岳」だ。

 

「俺を正しく評価し、認める者は”善”‼、低く評価し認めない者が”悪”だ‼」

 

これにはかなり共感を覚えた人も多いのではないだろうか。一般社会において、いくら本人に能力があろうとも、それに気付かず、能力をまるで活かせる事が出来ない人間にあたってしまったら、下手したらそれは一生を棒に振るレベル可能性すらあるのだ。もちろん、かくいう私もそうである。もちろん、具体的には触れられないものの、自身としてはかなり色々な仕事が出来るレベルだと言うのに、当時の上司がその中のひとつのみの才能にしか気づかず、こちらが何度となく訴えても聞く耳持たずであり、全く自分のスキルを活かせなかった事が1年ほど続いた事があったからだ。

 

幸い、今では環境がガラリと変わってくれたおかげで、ようやく自身のスキルを幅広く活かせるところまでは来たのだが、実にここに来るまで5年ほどの月日がかかってしまった、という事になる。そんな経験がある以上、この獪岳の台詞を初めて目にした時は、「そう、まさにそう、その通りだよ!」とまさに自分の事のように共感したものだった。そんな自身のような例からも、自身の能力を見抜いてくれるか否か、という人に当たるか当たらないかで、下手したらその人の一生すら左右してしまうかもしれない、という事を強く実感したものだった。

 

そんな自身の経験とは別に、プロ野球においても思い浮かべる節がある。まず最初は、何といっても元ジャイアンツのエースであった斎藤雅樹だ。高卒で入団し、1985年には12勝を挙げるものの、翌年以降は3年連続で一桁勝利に終わり、その間には野手転向の話すら持ち上がったという。しかし、1989年のシーズンから、同じく元ジャイアンツのエースであった藤田元司氏が監督に就任すると、日本記録の12連続完投勝利を含むシーズン20勝、さらに翌年も連続20勝と、その才能は一気に開花、球界のエースに躍り出るほどの活躍ぶりを見せたのだった。

 

そんな光景をリアルタイムで見ていた私は、今だに「もしあのまま王貞治が監督のままだったらどうなっていたのか」と思うのだ。歴史にIfは禁句とは言え、おそらく巨人のエース、斎藤雅樹は誕生していなかった可能性の方が高い。そして、もし王政権時代にあのまま才能を見出されていれば、200勝も達成していたかも知れない…そう思うと、今でも「もし王さんのままだったら…」と思うとゾッとして仕方がないのだ。

 

そして、もう一つの例が、イチローが入団した当時のオリックスの監督だった「土井正三」だ。1994年、仰木監督が就任し、イチローに改名したとたんに、史上初の200安打と、当時のパリーグ記録であった.385を達成するなど大ブレイクを果たした事から、前任の土井氏には「イチローの才能を見出すことが出来なかったダメ監督」というレッテルが半永久的に張られることとなった。

 

実際のところは、高卒、かつドラフト4位でありながら、1年目は異例とも思えるほどの1軍出場を果たしており、2年目もそれなりに1軍のゲームに出ていたので、少なくとも才能を見出されなかった、という事は決してなく、これはイチロー自身も発言している。清原や立浪、そして松井秀喜の例が特殊すぎるだけで、普通の高卒であればほぼ1年目はファームで過ごすのが普通である。それを考えたら、イチローも異例中の異例なのであるが、当時は今のようにネットで簡単に成績を調べる事などできない時代だったので、自然と土井氏にはそういうイメージがついてしまったのだろう。

 

しかし、土井氏はのちに「イチローは生意気すぎる。あの性格を直さなければ使わない」や、当時イチローの代名詞でもあった「振り子打法」に関しても、一貫して認めない発言をしているので、もしあのまま土井氏が監督だったら、あのような記録を残せたか、と思うとそれも怪しい。少なくとも、イチローという登録名はありえなかっただろう。V9の巨人の思考から抜け出せなかった土井氏が、そんな奇抜な登録名など認めるはずもないからだ。そう考えると、戦前の生まれながら、野茂のトルネード投法、そしてイチローの振り子打法とその性格に、一切のケチをつけず本人に任せた仰木氏の懐の深さは見事である。

 

もちろん、これらは特別うまくいった例であり、彼ら名監督であっても出会ったすべての選手の才能を見出せた訳でもないだろう。そう考えると、私自身の経験も含め、そういう人たちと出会えるか否か、というのは本当に運命であると言える。