画面出力のお話・その2 | ONCE IN A LIFETIME

ONCE IN A LIFETIME

フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

PCEで初めてコンポジットとステレオ出力を実現させたのは、1988年に発売されたAVブースターである。しかし、当然背面の端子を使用するために、後に発売されたバックアップユニットとの併用は不可能であった。それを考慮して、NECHEから両機能を搭載したバックアップブースターなる代物が発売された。当然、私も欲しかったのであるが、あいにく店頭で見つける事は出来なかった。そんなある日、雑誌でも見た事がないバックアップブースター2という製品を目にし、私も買ってみたのだが、なんとバックアップ部分しか搭載されていない、という詐欺のような製品だった。

 

まあ、それ以前にやるゲームもなかったので、長く埃を被っていたぐらいに起動していなかったのであるが、SUPERCD-ROM2ユニットでそれは一変する。そして、これによりようやく私の初代白エンジンもAV出力が可能となった。とは言うものの、なんとそのケーブルは同梱されておらず、そして当然Amazonでポチれる時代でもなかったため、しばらくはRF端子で妥協せざるをえなかったものだ。テレビはステレオではなかったものの、ビデオデッキはステレオだったため、そこからヘッドホンを付けてCD音源を堪能したものである。

 

メガドライブは標準でモノラルAVケーブル付きであったが、当時の3機種の中では最も出力が弱かった。SFCとPCEがかなり綺麗だったので、この部分に関しては相当見劣りしたものだった。しかし、何故かソニックだけは劣らないほど綺麗に見えたのだから、余程色使いが上手かったのであろう。またMDでは電波新聞社などがS端子出力、そしてRGBケーブルも発売されていたのであるが、ヘビーユーザーでもなかったので、買う事はなかった。

 

そして、当時次世代機と呼ばれたPS、SSにおいては、さすがに両機種ともにRGBケーブルがオフィシャルで発売された。うち、PS用は非常にしっかりした作りであり、今でも史上最高クラスのRGBケーブルであったと思う。かたや、アーケードの雄であるはずのセガのRGBケーブルはかなりいまひとつであり、特に音声のノイズが酷い事で有名だった。もっとも、それらを使用するのはずっと後の事であり、PSはコンポジットが弱い事もあって、当時はSSの方が上であった。

 

因みに、AVマルチ端子が搭載されていたにも関わらず、初代PS本体は既製品のケーブルも使用できた。私が買ったバージョンはS端子は削除されていたが、それでもコンポジット端子群は残っていた。もちろん、ケーブルが付属されているので使用する事はなく、実際に後のバージョンでは全て削減されていた。

 

その頃、ゲーメストの広告に掲載されていたのが、当時最高峰と呼ばれていた29インチの「プロフィール・プロ」であった。298000円と言う、今のゲーミングモニター顔負けの価格ではとても手が出る代物ではなかったが、コンポーネントやHDMI登場前、これが最も高画質なモニターであった事に疑う余地はない。

 

しかし、すでに21ピンマルチ端子搭載のテレビは、このプロフィールを除けばほぼ絶滅状態であった。RGBケーブルは売られていても、需要がない。そんな状況を救ったのが、ソニーが1997年に発売したAVマルチ端子付きのテレビだった。これはプロフィールとは異なり、普通に家電屋で売られていた製品だったのであるが、さすがにプロフィールには劣るとは言え、それでも滲みのない完璧なRGB画質であった。よって、ここを境にゲーマーにとってテレビはソニーに限られた事になる。

 

それでも、まだまだ情報が限られた当時、ユーザーのレビューなどは望むべくもなかったために、私自身はまだコンポジット端子で粘っていた。そんな2000年5月、本厚木のPCショップで偶然目にしたのが、NECが発売していたPC-TV454であった。PC用のモニターにも関わらず、アンテナ端子が付いているという代物であったのだが、スピーカーこそモノラルではあるものの、当時考えられた接続端子が全て背面に収まっていたのだ。定価は140000ほどするらしいのだが、中古ながら19800円。遂に自宅でRGB接続が出来ると思った私は興奮が止まなかったものだった。

 

画面サイズは14インチと大幅に下がったが、初めてPSを起動した時の感動は今でも忘れられない。それまでのコンポジット端子は一体何だったのか、と思うほど美しく、アーケードと比べても遜色はなかった。以降、寝そべってプレイ出来るRPGは除き、ゲームはこちらのモニターでプレイする事となっていく。いわば、自身にとっては初めてのゲーミングモニターでもあった。

 

同じ時期にドリームキャストも購入したのだが、こちらは公式ではRGB接続には対応していなかった。その代わり、VGA出力が可能であり、非公式の安いVGAアダプタを使用していたりもしたのであるが、やはりRGBの方が好みだった。しかし、全てのゲームがそれに対応している訳ではなく、結果的にそれによってゲーム購買の幅が狭まってしまった。

 

PS2ではまだRGB出力が可能であったが、高解像度のインターレースが主流になった事もあり、RGB高画質の恩恵を受けられたのは初代PSソフトと、グラディウスIII程度、あとは基本コンポーネントで接続の方が見栄えが良かった。テレビもとうとうWEGAに買い替え、同時にPC-TV454はお役御免となった。こちらはAVマルチ端子であるので、基本PS以外は非対応であるのだが、サイバーガジェットなどが変換器を発売してくれたおかげで、SSやSFCも接続可能だった。さらに、RGBパーツに特化した個人の通販サイトまで現れ、なんとPS用のAVアダプタのオリジナルSS仕様の製品まで販売しているなど、見ているだけでも楽しく、私もいくつか購入したものだった。

 

しかし、次第にゲームをやらなくなり、海外DVD収集がメインとなると、今度はそちらに特化したテレビが欲しくなってきた。そこで、ヤフオクでワイドブラウン管のプログレッシブテレビを買い、最終的に購入したのはD4端子が接続可能なソニーのワイドテレビだったかと思う。もちろん、これらのテレビではアナログRGB画質は望むべくもないので、ゲームはあくまでWEGAのみでプレイしていた。しかし、PS3を購入するとさすがに1080p出力でないと意味がないので、それだけはワイドテレビに接続していた。

 

液晶の技術が成熟していない当時、ブラウン管こそ最強、というのが定説であったので、それが私がブラウン管に拘る理由ではあったのだが、さすがに32インチでは物足りず、そしてサイズ的にも邪魔でしかもかなり重かった。そして、国内ではとうとうHDMI対応のブラウン管は発売されなかったので、デジタル接続できない、という不満もあった。そこで、とうとう2009年の1月に、パナソニックのフルHDのプラズマを購入したのである。

 

液晶ではなくプラズマを選んだのは、もちろんその方が高画質、かつ残像感が少ないからである。しかし、当時の私はそればかりが頭にあり、操作遅延の事などまるで考慮せずに買ってしまったのだが、幸いプラズマは遅延に優れているそうであり、際立った操作遅延はほとんど感じられなかった。価格コムで120000円ほどしたので、もし遅延が大きければ大損害であっただけに、これは本当に運が良かった。

 

さすがに今の液晶とは比べるべくもないが、当時の基準からすれば本当にプラズマは綺麗であり、初めてPS3を起動した時はそれはそれは感動したものだった。そして、HDMIだけでなく、S端子やD端子も搭載していたので、PS2やWiiの接続にも困らなかった。違和感もなくプレイしていたが、セガエイジスのテトリスで若干レスポンスの悪さが気になった事もあったので、もしかしたら多少の遅延もあったのかもしれない。しかし、グラディウスVなどは普通にプレイ出来ていたし、端子による弊害はなかったとは思う。

 

そしてハイセンスを経て、現在のLGに繋がる訳であるが、もちろんHDMIである代わりに、それが出来ない旧機種はほぼお役御免となってしまった。非公式のHDMIアダプタなどは存在し、PS2やWiiなどにも使用した事はあるものの、さすがにアプコンではないので画質的にはそれなりだ。フレームマイスターと言う優れた製品も存在したが、さすがに4万払う気にはなれず、遅延の不安もあったので買ってはいない。LGにはコンポーネントも搭載され、早速PS2でも試してはみたのだが、HDMIとは異なりゲームモードが選べないため、遅延が大きくゲームには使えなかった。

 

以上のような感じであるが、ファミコン時代のRF接続の煩わしさと、その画質を考えたら今は本当に楽であり、夢のようである。しかし、最新のゲームには特化されていても、いかに擬似的に当時の画質を再現したモードが搭載されていようと、やはりレトロゲームの再現性は完璧にはいかない。そう考えると、やはりあの画質を完璧に再現するには、やはり今なおブラウン管によるRGB接続以外はありえないのだ。