不協和音 | ONCE IN A LIFETIME

ONCE IN A LIFETIME

フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

その大昔、日本で有名な香港人と言えば筆頭がジャッキー・チェン、次点でアグネス・チャンと言う感じであったが、2020年の今となっては同じ英語名のアグネスであっても、チャンではなくチョウの周庭嬢であろう。

 

そのアグネス・チョウが、過去2度に渡って収監された際に常に口ずさんでいた曲が、欅坂46の「不協和音」だったと言う。昨今の邦楽には全く関心のない私にとって、その題名自体すら彼女を通じて初めて知る事となったのであるが、早速YouTubeで鑑賞した所、あまりにもアグレッシブなメロディ、そしてかつあまりにも先鋭的な歌詞に衝撃を受けたので、一目で気に入った私はすぐにiTunesで購入した。

 

2017年4月発売と、現在進行形の香港の抗議活動よりかは過去の曲になるのであるが、歌詞を読む限りではまるで予見していたかのような感すらある。一応、2014年に3ヵ月近く行われた「雨傘革命」もあったのであるが、少なくとも日本においては警察の催涙弾が報道された程度であり、今ほどの報道はされていなかったとは思うので、あまり関係はないであろう。まあとにかく、アイドルのソングと言えば恋愛絡み、と言うか日本のヒット曲のほとんどがそうなのだけれども、と言うイメージしかない私にとって、この「不協和音」は大きな衝撃を受けたものであり、確かにこれなら彼女が口ずさんでいた、と言う理由も十分に理解出来る。

 

2019年10月に渡航した私は、当然プロテストの真っただ中であり、その最中にもMTRが止まったりして私自身もかなりの影響を被ってしまったのであるが、さすがに雨傘の時と比較して民主派もかなりアグレッシブな行動をとっていたので、決してプロテストのエリアに近づく事はなかった。それでも、雨傘の時は非暴力な活動であったので、街中から人が消える、なんて事はなかったのであるが、今回はさすがにそうもいかず、午後7時過ぎぐらいでも尖沙咀の周辺はガラガラと、いつもの香港を知る私としても信じられない光景に映ったものであり、その光景はまさに今年5月の緊急事態宣言時の日本のようであった。

 

さて、香港の雲行きが怪しくなってきたのは、2012年の夏頃に、当時の行政長官であったCYリョン氏が中国の愛国教育を始める云々と宣言した頃だったと思うのだが、少なくとも抗議が行われたのはガバメントオフィスの周辺付近に限られ、街中は2013年までは至って平穏だった。それが一変したのは、前述で触れたように雨傘革命が始まった2014年9月下旬の事である。毎年、誕生日前後を最低1週間は香港で過ごしている私なのだが、大体前半はマカオと深センに足を運び、後半は香港で過ごす、と言うのが一般的なパターンだった。

 

この年も、香港に到着した翌日にマカオ、そして連続で深センに足を運んだ。記憶にある限り、この年の9月は非常に暑く、鉄道の駅が存在しないマカオは駅に避難する事も出来ず、仕方なく無料の博物館に通ったりして暑さを凌いだものだった。幸い、熱中症にはかからなかったが、2年前に一度なってから非常に暑さに弱くなってしまったので、今ではとても無茶は出来ないだろう。深センでも同じであり、さらにこの年は深センでも屈指のテーマパークである「世界の窓 Window of the World」へと足を運んだ。まあまあ楽しめたのであるが、この日も非常に暑く、しかも売店で買ったホットドッグが非常にまずく、最悪それで体調をさらに崩す所だった。

 

幸い、何ともなかったのであるが、この「中国大陸のホットドッグは非常にまずい」と言う教訓を、去年5年ぶりに訪問した時には空腹に耐えかねていた事もありうっかり忘れてしまっていたため、セブンイレブンで懲りずにホットドッグを購入し、その5年前の事を思い出したものだった。中華料理なら何でも美味いが、ホットドッグはとにかくまずい、これは大陸に行くつもりであれば絶対に覚えておくべき知識だ。

 

そして、マカオと深センで2日過ごした結果、28日から占拠が始まってしまい、結局帰国まで至る所で道路が封鎖される羽目となってしまった。一応、MTRは大丈夫だったのであるが、バスに乗ることを避けた結果ビクトリア・ピークには行けなかった記憶がある。まあ、そこに行っても完璧な夜景を見れるのは奇跡に近い確率だし、さらに中国人観光客で溢れかえっているので、香港エキスパートにとってはあまり足を運びたくない場所でもあるのだが。

 

そして、この時は先述の用、警察の催涙弾に対してあくまで市民は非暴力な抗議活動に終始していたので、プロテストサイトに観光客が近づいても大丈夫であり、私自身もCentral, Causeway Bay、そしてMong Kokなどに訪れた記憶がある。特にMong Kokは印象深く、各種エリアではメッセージを壁に貼り付ける、いわゆるレノン・ウォールが行われており当然私も書いたのであるが、Mong Kokでは私が日本人と言う事が分かると、片言の日本語で歓迎してくれたりして、なかなか印象深い出来事となったものだった。

 

しかし、当然2019年の渡航では平和的な抗議活動は望むべくもなく、破壊された吉野家やスタバ、そしてMTRの駅舎を見ては呆然とするしかなかった。もちろん、警察の市民への無差別暴行は批判してあるべきだが、それでも親中派店舗や市民への暴力活動はさすがに私としては容認出来るレベルを遥かに超えていた。日本では日本語が堪能であるアグネスの意見ばかりがフューチャーされており、どうしても「民主派=善、香港政府・警察=悪」みたいなイメージが付きがちだけども、やはり一週間と言えど現地で現実を目の当たりにしてきた私としては、どっちが正しくてそうではないのか、とは簡単に結論は出せない、と言うのが本音である。

 

昔は良かった、と言う言葉は、記憶があるのは過去の事に限られ、未来は何が起こるかまだ白紙のままであるからこそ思わず呟いてしまうものであるが、少なくとも現在の香港を見る限りでは普通に過去は良かったな、と言う意味で使わざるを得ない感じだ。しかし、明るい未来が見えるか分からない今であっても、やっぱり私は香港が大好きだし、海外の自由渡航が解禁されたら真っ先に向かうのも香港だろう。コロナ禍の真っ最中、香港も世界も、一刻も早く何事もない平穏な世界を取り戻して欲しいものだ。