英語を理解できる上での数少ないデメリット。 | ONCE IN A LIFETIME

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フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

基本、英語が理解出来るようになると良い事ずくめであり、世界が変わると言っても過言ではない。それでも、英語を理解出来るようになる上でのデメリットもそれなりに存在する。それらを私の経験から紹介していこうと思う。

 

・Engrishにイライラする。

 

Engrishと言うのは英語圏におけるスラングであり、他国、主にアジア圏の無茶苦茶な英語を揶揄する言葉である。特に、日本語は英語とは極めて相性の悪い言語であり、日本の英語教育云々以前に、日本語のネイティブスピーカーにとって元々難しすぎる言語なのだ。それゆえ、最近はまともになってきたかも知れないが、それでもGoogle翻訳の精度も他言語と比べたらまだまだであり、街中でこう言った翻訳を目にする度にストレスが溜まっていくのだ。

 

一般的な日本人であれば、おおよそ気にかけない要素であるので、これは英語学習者特有のストレスの要因だと思う。

 

・周りと話が合わなくなる。

 

真面目に英語を勉強していれば、CNNやBBCの記事を読むことは必然となる。当然、世界のニュースが中心となるが、その情報量と速報性は日本のそれとは比較にならない。Wikipediaなども同様であり、特に英語の記事となれば、それこそ世界中から編集がされていくので、情報の真意はともかく、量に関しては圧倒的だ。経験上、TOEICが730を超えたあたりからスラスラ読めるようになっていくはずなので、それ以上となると日本に関する記事以外であれば、必然的に英語版がメインとなる。普通に考えれば、同じようなレベルの持ち主でない限り、周りと話が合わなくなっていくのは必然だ。

 

・海外におけるスリルが減る。

 

ネットでは「英語は全く話せないのに海外に行きました」みたいな投稿を見かける事がままあるが、はっきり言ってそんなものは凄くも何ともない。確かに、国際語である英語が話せない状態で、海外旅行、特に一人旅を慣行したのであれば、その勇気だけは凄いとは思う。しかし、それは単なる無謀に過ぎないし、やはり海外の旅行者において国際共通語である英語すら話せないとなると、それはもう見下しの対象にしかならないのだ。

 

と言う訳で、海外旅行をするのであれば最低限の英会話力は必要だと思っている。もちろん、中国やロシア、南米大陸、そしてこの日本などは英語が通用しない筆頭国なのであるが、それでも英語話者は探しさえすればどこかに必ずいる。なので、やはりどこに行こうと最低限の英語力は必要だ。

 

それでは、英語に不自由しない場合はどうだろうか。私の場合、英語が広く通用する国に訪れたのは、順にフィリピン、香港、アメリカの3ヵ国だ。フィリピンは留学時のみなので、まだまだ初心者レベルではあったものの、一応渡航前に1年以上オンライン英会話を行っていたので、全く話せないという事はなかった。香港、アメリカなどは言わずもがな。後者における3ヵ月の滞在経験は、私のボスが非常に厳しかったおかげもあり、辛い事がほとんどであったものの、当然ながら英語はアメリカの事実上の公用語であるため、コミュニケーションにおける緊張感は皆無だった。

 

ここまで読んで理解してもらえたかもと思うが、コミュニケーションが容易、と言う事は少なくともそれにおける緊張感や不安はゼロになる訳だ。つまり、それだけに関して言うならば、極端に言えば日本に居る状態とさほど変わらなくなってしまう。そうなってしまうと、最初に訪れる場所であったとしても、英語さえ通用してしまえば、海外に行き始めた頃のあのスリルと興奮が味わえなくなってしまうのだ。

 

もちろん、治安が悪い場所にいけばその限りではないだろうが、それはまた別の次元の話。ではどうするか、となればまあ普通に考えて前述した非英語圏にでも行くしかなくなる。実際にそれはそうであり、事実昨年に深センに5年ぶりに足を運んだ時には、事前に普通話の復習をしていなかった事もあって、全てボディランゲージで買い物をする羽目となった。しかし、それはそれで新鮮な経験でもあったし、また漢字文化圏と言う事もあるとは言え、言葉が分からなくとも買い物程度ならなんとかなる、と言う事も理解出来たのも収穫だった。

 

同じく英語が通用しない国と言えば、ラテンアメリカだ。子供のころ、ルチャ・リブレに興味があった事から、メキシコが訪れたい国の筆頭だったのだが、英語がほとんど通用しない大陸だけあって、もし行くのであればいちからスペイン語を勉強しなくてはならない羽目となる。つまり、初めて自分の英語が相手に通じた時の喜びを、また味わう事が出来るとも言えるのだ。

 

結局、そんなスリルや喜びを味わいたいのなら、非英語圏に行くしかない、と言う結論になるのであるが、どこの国々へ行こうともそれなりにハードルが高い。つまり、非英語話者の日本人であれば、世界のどこの国へ行こうと簡単にスリルを味わえるのに対し、英語話者は同等のものを味わうのに、余計なお金と時間と手間をかける羽目となってしまうのだ。

 

・Facebookで日本人と疎遠になる。

 

私の場合は2500人のうち、おそらく2000人以上はほぼ外国人だろう。まあ、そのほとんどがブルース・リー繋がりであり、実際に会った事のある人はほんの一握りなのだが、そうなると当然、その大多数が理解出来る言語で投稿しなければならない。もちろん、英語しかないのだが、日本語しか理解出来ない日本人のほとんどは日本人のフレンドしかいない訳であり、おそらく彼ら彼女らは、何故私が英語でしか投稿しないのか不思議に思う事だろう。その真意が理解出来ない限り、キザな野郎と言う印象を与えているかも知れないので、そうなると必然的にLIKEも付かなくなり、英語を理解出来る日本人以外とは疎遠になってしまう。