香港旅行2019〜デモの真っ只中で・その1 | ONCE IN A LIFETIME

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フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

10月2日の深夜から、1週間香港に滞在してきた。2011年から続けてきた毎度のイベントではあるが、さすがに今年に関してはさすがの私も断念せざるを得ないかな、と思ってきたが、「こんな時に行かなくて何が香港好きだ!」と別に抱かなくても良い感情を抱いてしまい、急遽今年も渡航する事を決めてしまった。

 

本来であれば国慶節のこの時期、香港は中国大陸からの客で埋め尽くされる状況であるが、さすがに今年は大幅減との事であるし、また確実に一波乱あるであろう国慶節以降であれば、プロテストも少しは落ち着くだろう、との読みもあった。そして最も私が恐れていたのは空港の占拠であるが、警察の警備が強化された事によってここ1ヶ月ほどはそれもなくなったので、それも渡航の決め手となった。

 

3日の日は、早朝に到着して空港で一休みし、3年ぶりとなる重慶大厦へとチェックインした。それなりに良い部屋を取ったつもりであったが、案内されたのはそれとは似ても似つかないボロい部屋だった。重慶あるあるであるが、あまりにも写真と違ったのでさすがにこれはないだろう、と思ったものだが、これも重慶のルールである以上従うしかなかった。

 

それでも冷蔵庫が備え付けられていたのには幸いであったが、なんとコンセントの形状が香港のそれではなかった。幸いアダプタで接続出来たのではあるが、ひとつしか持ってこなかったためにそれ専用には使えなかった。しかたなしに、重慶でまた購入する羽目となってしまったが、わずか10香港ドルだったために大した出費でもなかった。因みに、初めて香港に来た時は当然重慶など分からず、適当に電気屋で買ったのだが、ちょっと良いプラグだったとは言え2000円ほど払ってしまったので、何も知らないとは言え大損したものだった。

 

 

 

 

それからは街に出ていったが、平日とは言えデモのない日は極めて平穏であり、とてもニュースで見る荒れた香港だとは思えなかった。夜もMong KokとSham Shui Poへと出かけ、女人街とコンピューターセンターそれぞれに足を運んでいった。

 

翌日はマカオへと出かけていったが、香港がダメな分ここは中国人観光客で溢れかえっていた。私はブルース・リーのロケ地へと行ければ良いのであるが、その周辺は地元民のみでありいたって平穏なマカオの日常であったが、中心街へ出た瞬間に中国人が埋め尽くし歩行者天国なのに一方通行となる有様であった。そこからマカオタワーへと向かっていたが、そこでも中国人で埋め尽くされ、さすがに嫌気が差して来た自分はいつもよりも早めに切り上げ、価格が上がる18時前に香港へ戻る事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

幸い、17時のフェリーに間に合ったが、帰る真っ只中に例の悪夢とも言えるキャリー・ラムから緊急法案適用による突如の覆面禁止条例が。香港人の友人から「今日は早く帰った方が良いよ!」とのメッセージも受け、これから先何が起こるか容易に想像が付いた私は、上環に着くと食事を取る間も無くMTRで尖沙咀に直行した。

 

その夜は案の定荒れに荒れ、MTRの駅は破壊され放火され、瞬く間に運行停止。翌日は歴史上初となる、香港全土で運行停止。よって土曜日は徒歩圏内の歴史博物館にしばらく滞在する事を決めたが、なんと13時にて突然の閉館。仕方ないので食事を取った後、原点に戻り最初に香港に来た頃のように、Nathan Roadをひたすら歩きガラガラの女人街で買い物をしていき、帰りはバスに乗って帰っていったのだが、さすがの私も駅や、本土系銀行やスタバ、そして吉野家への破壊行為はとても許容できる範囲にあらず、怒りがこみ上げてきたものだった。

 

日曜日の朝に食事を終えると、突如テレビ朝日のリポーターにインタビューをされたが、あいにくオンエアーされる事はなかった。実際に流されたのは「いかにも」なステレオタイプのインタビューであったが、基本的に香港に無関心な一般的視聴者に対する受けを考えたら納得するしかなかった。私の知り合いでも何人か香港に渡航経験がある人はいるのだが、国際都市を堪能するという知的感覚を養うものではなく、ほぼ全てがディズニー行って飯食って帰る、程度の一切脳みそを駆使する必要もなければ何の経験値にもならないスイーツ御用達の旅程ばかりだったため、私からすればその程度で香港旅行など笑わせるな、と言った感じだ。

 

月曜日は現地の祝日であり、これは事前に調べておかなかった事を後悔したものであるが、さすがに3日連続で不自由な香港には居たいとは到底思えなかったため、前のブログのように深センへと念願だった高速鉄道で向かっていった。わずか20分の乗車ではあったが、海外での高速鉄道、しかもインターシティトレインというのはさすがに興奮を抑えきれなかったものであり、これは今回の旅行において最も良い思い出となってくれた。

 

 

 

 

火曜日になると、深刻なダメージを受けた一部の駅以外はほぼ平常運行となったものの、あいにく博物館の休館日であり、この時点でまだブルース・リーのエキシビションには行く事は叶わなかった。仕方ないのでここぞとばかりにMTRを堪能し、宿で休んだ後は山頂へと向かっていった。いつもならミニバスを使うのであるが、ほとんど並んでないという事で久々にピークトラムに乗る事にしていった。マダムタッソーとの割引を必死に説明していたが、やはり観光客激減のためか涙ぐましい努力が嫌というほど伝わってきたものだった。

 

現時点で駅が改装中であり、仮のみすぼらしい駅舎から乗車していった。入場料の高いマダムタッソーに行くつもりはなかったが、せっかく来たのだから…という事で思い直しやっぱり行く事に決めたのだが、KLOOKというオンライン予約サイトを使うと大幅割引が可能なので、それをその場で使用し購入していった。これによるデメリットなどは皆無なので、正規の価格で入場していった人たちがいるなら、それはとても気の毒に思えたものだ。

 

ここは2、3年ぶりだったと思うが、当時からしても大分様変わりしていたものだった。入り口ではジャッキー・チェン人形との有料記念撮影が行われていたが、未だに現代香港人が嫌いな有名人筆頭のジャッキーを押している限り、完全に外国人観光客対象にしているのだな、と実感したものだった。まあ、それだけ国際的スターをなかなか生み出せていない、という現状があるのだが、それでも未だにジャッキーをプッシュしなければならない現実を目の当たりにしたのは寂しかった。

 

途中、中国人男性から写真を撮ってくれるようにせがまれたが、何度も要求して来るために最後は英語で「なんていっているか分からないよ」と完全スルーした。香港では同じ東洋人であっても、実際に話すまでは何語を操るか分からないと言うのが普通なのだが、大陸人はまるで普通話が国際語の如くそれで話しかけて来るので、正直こちらとしてはそれが不愉快な事極まりない。そりゃほぼ日本でしか通用しない日本語と比較すればグローバルな言語かも知れないが、国際都市で見ず知らずの人間に話しかけるとなれば英語を使うのは常識なので、それが全く当てはまらない連中にはほとほとイライラさせられるものだ。その辺りも、世界で中国人が受け入れられ難い現状となっている理由のひとつであると思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後は展望台へと向かっていったが、あいにくかなりガスっておりとてもクリアな夜景とは言い難いものだった。実際、サンプルで見られるような夜景に出会う確率は極めて低く、雨が降った後でもない限りほぼ見るのは奇跡に等しい確率と言って良い。しかし、尖沙咀からでもここに来るまでは1時間半はかかるので、とても下で景色をチェックしてから来る余裕などはなく、一種のギャンブルに等しい。さすがに堪能は出来なかったので、客は少なかったもののいつもよりも早めに切り上げて後にした。

 

1年前には改装中だったギャレリアがようやく開店したが、案の定廃れたモールのような雰囲気であり、改装してこれではオーナーもやってられないだろう、と思ったものだ。そしていつもなら大行列のはずのピークトラムも全く人は並んでおらず、そのまま待たずに帰れたと思うのだが、帰りは少しでもケチるためにいつも通りミニバス乗り場へと向かった。

 

運が良くすでに止まっており、人数が揃うまで出発を待つだけだった。山頂からの帰りのミニバスはジェットコースター並に飛ばしスリル満点であるのだが、なぜかこの時は落ち着いた感じでありそのような感じは微塵もなく、何事もなく中環へと着いてしまった。しかし、いつもなら駅の目の前に止まるのに、この時に限って少しずれた場所に止まってしまい駅前だとは思わなかったので、そのままターミナルへ降りる事になってしまった。そこからでも普通に帰れるのであるが、当然遠回り、MTRが停止する20時までに乗れるか不安であったが余裕で間に合い、そのまま尖沙咀へと帰る事が出来た。