最近、台湾の高雄で日本人女性がLCCに乗り遅れ、途方に暮れていた所現地の優しい方々に救出される、と言うニュースがあり物議をかもしたものだけど、もちろんツアーなのか個人なのかそこら辺の詳細は明らかにされてはいないとは言え、文化も民族も異なる海外、特に日本と言う世界最高レベルの治安の良さを誇る国から渡航する以上、どんな形で行こうと万全を期さなければならないのは当然の事。
しかし、どんなに気を付けていても所詮人間である以上、何かしらのトラブルに巻き込まれるのはやむを得ない事がある。ツアーであればある程度は現地のスタッフなどが対処してくれるかも知れないが、個人であるとそうは行かず全てが自己責任となる。その場合基本的には英語、中国大陸など通用しづらい国でもある程度の英語を話せる人は必ず存在するので、やはり一人旅の個人旅行をするにあたってはトラブルを回避出来るレベルの英語力はあってしかるべきだとは思う。
しかし、日本の英語教育を受けてきた一般的な日本人にとって、それは容易ではない事。それもあって、香港のようにどんなにイージーな国であっても、あまり周りに一人海外を勧めていないのもそれが理由。もちろん、話せなくとも世界中を旅している人は沢山いるのも事実だけれども、正直自分からすればかなりのハイリスクと思わざるを得ない。
初海外の2010年フィリピン留学の時点で、すでにスカイプにおけるオンラインレッスンを始めて1年半近く経っていたので、簡単な日常会話レベルであればこなせるようにはなっていたから、要するに全く英語が分からない時点で海外に渡航した、と言う経験はない。言い換えれば、英語が話せないと言う時点で、ツアーが嫌いな自分、トラブルに遭った場合に対処出来る自信がなかったと言う訳だから、リスク覚悟よりも回避の方を自然に選択していた、と言う訳だ。これまでの経験を考える限り、今思えばそれが正解だったと思う。確かにそういう日本人のために、ガイド付きの様々なツアーが用意されている訳だけども、正直金さえあれば誰でも出来る事に対してはどうしても抵抗があり、参加する事なんておおよそ考えられなかったので、個人で行く事に自信が持てなかった以上、行くのを断念せざるを得ない以外の選択肢は存在しなかった。
しかし、そんな状況もフィリピン留学後、特に2度目の直後の初の香港渡航から一変、同2011年の9月における台湾・香港旅行をきっかけとして、本格的に一人海外の道を歩み始める事となった。
どちらの国も、アジアではかなり治安の良い地域であるし、渡航前までは不安はほとんどなかった。せいぜい、チャイナエアラインの事故率の高さに怖気づき、価格より安全を取って割高なキャセイパシフィックを予約したぐらいだ。しかし、それでも事実上初の一人旅、パスポートやお金を盗難されたりするなど致命的な犯罪には巻き込まれた事は皆無とは言え、それでも最低限英語が出来ないとやばかったな、と言うシチュエーションはあったので、多少前置きが長くなったものの思い出せる限り改めて綴っていこうと思う。
まずは台湾、最大の国際空港である桃園空港から空港バスにのって台北市内に向かう最中だ。今年、2017年の3月、ようやく、本当に長い時を経て、空港MRTが開通し市内へのアクセスが抜群になったものの、開港以来40年近く、そこまでのアクセスはバスしか存在しなかった。しかし、桃園空港は台北市内より相当離れており、平均で1時間、ラッシュアワーに巻き込まれた場合は1時間半程度と、不便かつ時間がかかってどうしようもなかったのだ。
それでも、それ以外選択肢はないので乗らざるを得なかったが、なんと国際空港発でありながら英語のアナウンスも表示も皆無、それでいて乗客がどんどん降りていく、しかも外はすでに真っ暗さらに当時はスマホもなく、でもあった所で現地のSIMは使えない、イコールグーグルマップも使えず頼りに出来るのはリアルタイムではどこにいるかわからない地球の歩き方の地図だけ。さらに、価格重視で選んだホテルが路線の途中、つまり終点の台北駅に着くまでに降りなければならないと言う有様。1日目どころか、台湾に着いて1時間強でこんな不安に見舞われる事となってしまった。
これは日本に居る時点で、現地の交通事情を把握しきっておらず、終点まで乗っていれば良いだけの台北駅周辺のホテルを選択していなかった自分が愚かであり、そこを熟慮していれば避けられたミスである事は間違いない。事実、翌年はそれを避けるため、台北駅から5分の格安ホテルを選択したので、何の問題もなくたどり着く事が出来た。まあイコール学習の成果が出た、と言う事でもあった訳だけども、とにかく1年目はいきなりのトラブルに見舞われてしまった。
そこで取った手段と言えば、とにかく周りの乗客に、地図を指さしながらの聞き込み。こういう時、言葉が伝わらなくても同じ漢字文化圏と言うのは強みだ。しかも、I want to go here.と英語で伝えたのにも関わらず、隣の年配の女性が「ここ、ここ」と日本語で返してくれた。指定された周辺で降りても、近くにホテルは見当たらない。当然、ここでも英語で聞きこみすると、年配の男性が英語で返答、しかも自分だけで分からないとなると現地の別の人に聞いてもらい、確かな場所を教えてもらう事が出来た。
同年3月のあの東日本大震災の時、真っ先に救援隊を派遣してくれたのが台湾であった事は今なお記憶に新しい。それにより多くの日本人がアジアかつ世界で最も親日な国が台湾である事を知る事となり、かくいう私もそれにより台湾イコール親日と言うイメージが一気に膨れ上がりそれが台湾渡航の一番の理由だったのだけれども、台湾到着から半日も経たないうちに、いきなりそんな現地の人たちの優しさに自分が助けられる事なろうとは。確かに一人旅における不安も自分の準備不足も痛感した、しかしそのおかげでこのような忘れがたき経験も得る事が出来た。台湾到着から半日も経たないうちに、いきなり一人旅におけるデメリットとメリットを実感する事になった訳だ。
その後は、この時はわずか3泊4日の短期だったため、大きなトラブルもなく過ごす事が出来た。最終日に空港へ向かうバスのバス停が良く分からず、英語で聞きまわるもホテルのスタッフも、他の英語話者も見つからず国語のみで返された時は一瞬困ったが、逆に英語ではなく日本語が分かる人がたまたま困っている自分に話しかけてくれ、無事桃園空港行に乗る事ができ台北を後にした。
そして初の本格的な香港滞在。この時も、日本語の重慶大廈・チョンキンマンションの「予約をする必要はない」との言葉を真に受けた自分は、事前にどこの宿も予約せずに向かったという致命的なミスを犯してしまう。結果、国慶節でどこの有名ホテル・ゲストハウスも満員、しかも重慶大廈ならではのカオスな雰囲気と、中東系の客引きにまだまだチキンだった自分は完全に怖気づいてしまい、途方に暮れる事となってしまった。
そこで、もう一つの有名マンションである美麗都大廈に向かった所、たまたま女性の宿主に拾ってもらい、1日300HKD、当時のレートで3100円ぐらいで1週間分の滞在の約束を取りつけ、事なきを得た。基本的に客引きについていくのはタブーとは言え、この方は現地の香港人だったし、もう自分には他にどうにもならなかった事もあって、ついていかざるを得なかったものの、ふたを開けてみれば寝床こそ狭すぎたとは言え、フリーWi-Fiも広間も洗濯機もシャワーもトイレも完全完備、隣にいたブラジル人がたまに現地のインド人を連れ込みやかましかった以外は、十分過ぎるほどの環境だった。
この日は誕生日、スカイプで事前にネットで知り合った現地の知り合いに連絡し、めでたくレストランで祝ってくれたものの、外に出ればあいにくの大雨、しかもすでに午後11時をとっくに回っていたため、マンションのエントランスが閉鎖されセキュリティガードが門番をしていた。
香港では現地の人は香港IDカード、外国人旅行者であれば常にパスポートを携帯していくのが義務とされる。フィリピンでの留学時、パスポートは学校に預ける事になっており、実際そこでの生活においてもパスポートを要求された事は皆無だった事そして盗難のリスクを避けるため、この時は部屋に置いたままにしていた。幸い、この時は友人が広東語で日本人である事を説明してくれ、財布には日本の運転免許証も入っていたから、すんなりと通してもらう事が出来たものの、もし彼女が居なかったら…不法滞在の疑いで拘束されていたかも知れない。
その後、アバディーンに向かう途中、バス停を逃してしまった事もあったが、この時は隣に座っていた女性が英語が堪能で、終点でまた引き返していけばいい、と教えてもらい大きなトラブルにはならなかった。
そして、この旅行における最大のトラブルが、新生銀行の国際キャッシュカードをシティバンクのATMから取り忘れてしまった事だ。ATMでの現地通貨の直接引き出しは便利な事この上ないものの、かなりの手数料が上乗せされるため、最初に一気に引き出しておくのが良いのだけれども、大金を持ち歩く事への不安がどうしても拭えなかったため、足りなくなる度に引き落としていた。香港はどこにでもATMがあるのも、それに拍車をかけていたのだと思う。
そんな時、銅鑼灣のマクドナルドに行く前、すぐそばのシティバンクのATMでHKDを引き出した時、通貨は抜いたものの、しばらくしてキャッシュカードがない事に気付いた。慌てて戻ると、すでに見当たらない。店員に聞くと、しばらく抜かないとセキュリティのために機械が飲み込み個人では2度と取り出せなくなってしまうという。お願いをするも、当日は土曜、月曜にならないとそれは無理だという。
幸い、手持ちの通貨はそれなりにあったし、最悪クレジットカードでのキャッシングも可能、また帰国日までにも余裕があったので、月曜まで滞在する上では大きな問題はならなかった。香港シティバンクの行員ともなれば、英語がネイティブ並なのは当たり前であるし、自分もようやくTOEICが660点を超え海外旅行レベルで困る事は少なくなっていったから、意思疎通も、月曜日でのカード返還のやり取りも特に問題になる事はなかった。しかし、当然個人旅行である以上、自己責任、自己解決が要求されるため、もし交渉もままならないほどの英語力しか持ち合わせていなかったとしたら…中国人以外の人間は英語が話せて当たり前であるという認識の香港、台湾のように日本語のスタッフを用意しているほど甘くはない。もしかしたら、飲み込まれたまま諦めて帰国していた可能性だった無きにしも非ずだったのだ。
マカオでも、外港ターミナルではマカオパスが購入出来ない事に再度怖気づいてしまい、せっかくフェリーに乗ってマカオまで来ながらすぐに引き返したという、この上なくヘタレなエピソードまで作ってしまったり、本当にこの2011年の旅行に関してはトラブル続きだったものだ。しかし、人間は敗北や失敗からの方が色々学べる事が多い訳で、この時の経験が糧になっていったのは間違いない。実際、何度も足を運んでいる事もあるけれども、後の旅行でこのような人為的トラブルは目に見えて少なくなっていった。今でこそ、一人旅行をする事で周りから割と尊敬の眼差しで見られる事こそ多いものの、そんな自分でも最初は失敗続きだった事が分かってもらえたかと思う。