私が待ち合わせの地図をもらった時、まだ周りには多くの人が居たので、何故自分が選ばれたのかは今でも分からない。ただ、後に合流して分かった事のひとつに、世界中からのファンを集める、と言うのがあったらしいので、日本からのゲストも欲しかった、でも英語を話せるのは自分だけ、と言うのが決めてとなったのだろう。
その瞬間から、私は興奮してやまなかったものだが、まだ本番までにはかなりの時間があった。この時、クラブ主催のツアーに参加する事も実は可能だったのだけれど、どうしても香港まで来て日本語付きのツアーには参加したくはなかったので、ひとまず当日一般公開開始のエキシビションまで向かった。
香港文化博物館にはすでに1度だけ訪れていたものの、広い割にめぼしいアトラクションもなく、それなりに興味を抱いたのはせいぜい新界の歴史程度のものだった。しかし、今回は何といってもブルース・リーだ。もう当分訪れる必要のない場所が、その瞬間から香港を訪れる度に必ず訪れなければならない場所になったのだから、えらい違いだ。
ただ、混雑を予期してなのか、この時は追加料金こそなかったものの、ブルース・リーのコーナーに限っては予約制をとっていた。幸い、日本からもネット経由で可能だったので、もちろん訪港前に予約を済ませていた。そのせいもあってか、比較的ゆったりと見れたものの、入れ替え制のため制限時間は1時間半だ。敬愛するブルース・リーの遺品や写真に囲まれるという、この上ない幸せな瞬間、1時間半がとても短く思えたのは言うまでもない。
また、解説の文章量も豊富だが、当然繁体中国語か英語しかない。歴史博物館のように日本語による音声解説もなかった(と思う)ため、日本人は英語に頼るしかないのだが、とにかくその量は膨大なため、それなりの英語力がないと全部は理解しきれないだろう。そこでも改めて、英語を理解出来る能力の優位性を実感したし、そして改めて英語の勉強を続けていて良かったと思ったものだった。
それからは宿に戻り、ひとまず夜までしばらく休むことにしていった。夜6時から、ブルース・リーの母校であるフランシスコ・ザビエル校でも、クラブ主催によるイベントが予定されていたのだが、入れるかどうか不安だったので、実は行くかどうか迷っていた。しかし、ここまで来ていかないのはどうかと思い直したので、最寄り駅の太子駅からそこまで徒歩で向かっていった。
若干迷ったものの、ようやく入り口を見つけると、ブラスバンドによる主演映画のメドレー、その時は死亡遊戯が演奏されていた。しばらく中に入るのをためらっていると、誰でも入ってよい、との事だったので、終了まで居た。演奏後は、物まね大会など、ちょっと微妙な感じのコーナーもあったものの、途中、あの「少林サッカー」ではゴールキーパー、そしてCCTVのブルース・リー伝説で主役を演じたダニー・チャンが突然後ろに現れた。
当然私は大興奮し、握手と記念撮影に応じてもらった。すぐに消えてしまったものの、当然香港映画俳優との絡みは初めてだったので、大変に感激したものだ。それだけでわざわざ来た甲斐があった。
全てのイベントが終了したのが午後8時半過ぎぐらい、モンコックでの待ち合わせが9時半だったから、十分間に合う時間、実際間に合ったものの、バスに乗るとの事だったのでどうしても用を足していきたかった。モンコック周辺であれば電気屋のブロードウェイ併設のマクドナルドがベストなんだけど、何故かこの時に限って見当たらなかった。他のマックも行ったのだけれど、なんとバースデイパーティか何かで進入禁止になっていた。
さすがにこの大チャンスを逃す羽目になるのでは、と一瞬覚悟もしたが、幸い集合場所近くにパブリックトイレがあったので、ぎりぎり時間に間に合う事が出来た。そこから新界のTaipoにあるテレビ局へと向かっていったが、遠いと思っていたら空いているという事もあってわずか15分で着いてしまった。
テレビ局自体は、幼き頃のNHK、最近ではテレビ朝日などに訪れた事があるが、当然スタジオ内まで入るのは初めて、しかもそれが大好きな香港、運命的なものすら感じた。
そのままスタッフに案内されたまま着いていくと、すぐにスタジオ内に着き、すでにフィービーさんと他の出演者らが打ち合わせをしていた。我々の席は斜め前に用意されており、私の他にも香港系アメリカ人、台湾人、香港人、LAからのアメリカ人なども招待されていた。
私の席は香港系アメリカ人女性と、香港人女性と同じテーブル。当然、私たちには台本などあるはずもないので、時間が来るまで色々注意事項などを言われた程度であるが、出演者はもちろん、スタッフまで英語がペラペラ。この辺りはさすがに香港だな、と感じた。
そしていよいよ午後11時55分の本番。しかし、喋りの9割以上は広東語オンリー、当然、現場に居て字幕など見えるはずもないので、内容は全く理解不可能、退屈そのもの。途中、「ドラゴン怒りの鉄拳」でブルース・リーの英語吹き替えを行った西洋人の男性は英語だったので、かろうじてその部分だけは理解できたかな、程度。しかし、当然日本のように専門の通訳などおらず、司会の方たちがその場で通訳を行うのは、これまたさすがに香港だと感じた。日本だとまずありえないからね。
途中、我々のなかで、その香港系アメリカ人のみが呼び出され、広東語で何やら語っていったが当然意味も分からず。しばらくして、皆で中央に集まりポーズを取って終了。本当に「出れただけ」と言った感じではあったが、その後10分ぐらい、出演者の皆さんと会話出来る機会があったので、何人かと言葉を交わした。
当然、自分からすれば初めて見る人ばかりなので、どういう人たちなのか全く知らない。しかし、それでも香港ではテレビに出ている人たち、自分なんか完全にただの人。しかし、それにも関わらず、全ての人たちが話しかけたら気さくに話しかけ、記念撮影にも応じてくれた。そのうちの一人はFan Bo Boと言う、ブルース・リーの子供時代を知る女優さんだったが、私は知らなかったものの、周りの香港人は皆知っていたので、こちらでは大変有名らしい。当然、彼女も含めて全員英語はペラペラだ。
その後、我々と一部スタッフは、再び同じバスに乗り、モンコックまで連れて行かれて解散。その時、同じエキストラのひとりの香港人女性と電話番号とフェイスブックの交換をしたが、それ以来会っていない。そして時間はすでに夜中の3時前後、地下鉄は当然なく、重慶へ帰るには深夜バスかタクシー、もしくは徒歩だけ。
彼女は中環に用事があるといって、タクシーで帰っていったが、旅行先で出来る限りタクシーは使わないポリシーのため、深夜バスに乗った。しかし、いざオクトパスを使おうとしたら何と使用不可能。ナイトバスは現金のみらしい。知らなかった。幸い、10ドル札を持っていたので事なきを得たけど。
後日、まもなく全編YouTubeにアップされていたので、自分が映っているかを確認。わずか数秒だったけども、間違いなく香港のテレビに出演、と言う事実は歴史的にもネット上にも残ったのは間違いはない。これまでテレビに映ったと言えば、横浜スタジアムでの横浜と西武の交流戦でちょっと映ったぐらいだから、エキストラ程度とは言え、初めてまともに出れたのがまさかの憧れの香港とは、今思い返しても奇跡だったなとしか言いようがない。