NYCでの数少ない出会い。 | ONCE IN A LIFETIME

ONCE IN A LIFETIME

フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

NYCで真っ先に行いたかった事、それは現地での友人を作る事だった。留学とは異なり、友人を作る事は容易ではなかったし、また性格的な面から、職場の人たちとプライベートまで関わる事は好まないタイプなので、寂しさをまぎらわすためにもとにかくそれが最優先事項だった。

なので、まずは自分が長年愛用している、Language Exchange.comを使用し、とにかくNYCに住む日本に興味あるアメリカンにメールをしまくった。しかし、国同士の交流は深くとも、位置的には遠すぎる両国、文化的・距離的にも近い香港・台湾とは異なり、日本に興味を持つ人たちは正直多いとは言えなかった。

さらに、欧米人が日本に興味を持つきっかけは、大体ビデオゲームかアニメ・漫画だ。しかし、前者は2000年前後、後者に至ってはほぼドラゴンボールで止まっている。ここ最近の事情などさっぱり分からないので、そこから盛り上がる事も期待出来ない。いくら最もメジャーなサイトを使おうと、友人作りは容易ではなかった。

しかし、かろうじて数人が返信してくれ、うち何人かは会おう、と言ってくれた。しかし、あいにく私は土日出勤だったため、スケジュールを合わすのも容易ではなく、結局ほとんどは会えずじまいだった。それでも、50代のスティーブと言う男性のみ、平日でも空いてる事の事だったので、5月初旬、マンハッタンのチャイナタウンからの帰りに、59番街駅真上のショッピングセンターで待ち合わせる事にした。

そこから、渡辺謙が主演したことで知られる、King And Iが行われていたリンカーン・センターまで赴き、何も飲食物は買わずにただ座り、そこからひたすらトークをしていった。

余談になるが、ちょうど渡辺謙による公演が行われていた時期は、ほとんど私が滞在していた3ヶ月と重なる。つまり、十分鑑賞の機会はあったのだけれども、当時はお金を抑える事に必死、しかも当初まるで関心のなかったミュージカルに、プレミア価格の300、400USD以上を払ってまで見ようとする気概などさらさらなかった。

正直、日本人がNYCのミュージカルで主演と言う大偉業、今となっては多少のリスクを背負ってもいいから見に行けばよかったな、とは思っている。特に、後に3つのミュージカルを鑑賞し終わってからはなおさらだ。まあ後悔先に立たずだけど、当時は上記のような理由があったのだから仕方がない。

話を戻して、私は自分から相手に質問、さらに英語で疑問文を作るのは未だに苦手だったりするので、しばらくはスティーブ側の質問に答える事に終始した。しかし、運良くお互い野球にはかなり詳しかったので、ここぞとばかりにヤンキースやMLBに関する質問をしていった。

正直、すでにヤンキースタジアムはもちろん、内部のミュージアムやモニュメントパークにも足を運んでいたし、またヒストリーに関する本も幾度となく読んでいったので、今さら新たに知る事実自体は多くはなかった。しかし、実際にリアルタイムで体験していった人の話はやはり面白い。賞味1時間半程度話して、その日は終わった。

その後、帰国するまでまだまだ時間はあったのだけれども、何と帰国直前のお休み期間まで会う事はなかった。理由は簡単、休日にマンハッタンに赴くのが面倒だったから。週5日通っている場所に、わざわざ休みの日まで出かけたくない、と言うのは普通だろう。特に、自分はほぼ毎日外回りが任務だったから、尚更だった。

ただ、結局帰国前日にブルース・リーマニアのヴィクター氏に会うまで、こちらからコンタクトをとって実際に会ったニューヨーカーはスティーブ氏のみだった。それを考えれば、英会話の練習も兼ねて、正直もうちょっと腰を上げて会いに行けば良かったかな、とは思っているけど、まあ全てが後の祭りだ。

よって、最終週は水曜日夜を除いてお休みを頂けたので、その週の1日に会う事になった。最初は野球関係の事に終始したが、次第に飽きてきたので、3か月間のNY生活や、ここで学んだ事、オフィスでの仕事の事など、色々話していった。前にも触れたが、私が特に印象に残ったのはやはり地下鉄だったので、それに関する両国の違いなどを色々話していった。

ここで使用した言語は、言うまでもなく英語オンリーだ。スティーブ氏は気を使ってか、かなりスロウリーな英語を話してくれたので、聞き取りに不自由はなかったし、自分も高度なビジネス・政治レベルの話でなければ不自由はしないので、ランゲージバリアーはお互いに感じていなかったとは思う。ただ、やはり母語でない以上、次第に口が疲れていきなかなか舌が自由に回らなくなってしまうので、そこがやはり英語は外国語である事の証明だ。しかし、ここ数年、日本でネイティブアメリカンとここまで会話した事はなかったので、とてもいい経験だったと思う。

ただ、学校に通わず、オフィスも日本人だけとなれば、やはりアメリカと言えど日常英会話の頻度は実は結構限られてしまう。正直、その環境において普通に生活するぶんとなると、せいぜい買い物ぐらいしか機会はないだろう。まだまだ普通の日本人は「英語圏へ行けば自然に話せるようになるだろう」と考える人が多いとは思うが、はっきりとそれは正しくない、と言う事を身をもって知る事となった。大リーガーのように、常にネイティブのチームメイトが居ればまた話は変わってくるかとは思うが、やはりちゃんと勉強しないと「こいつは頭悪いな」と相手に思わせてしまう程度の英語しか話せないだろう。

話を戻して、彼以外に会ったと言えば、先述したように同じクイーンズ在住のブルース・リーマニアヴィクター氏だ。同じクイーンズ在住とあって、真っ先に会いたかったのだけれども、さすがに到着直後は疲れもあって無理だった。しかし、その後も土日に休めないおかげで、会う事はかなわず、結局会えたのは何と7月19日、帰国前日と言うありさまだった。

ただ、クイーンズとは言っても自宅からはかなり離れており、しかも地下鉄の駅からも大分離れているので、少々難易度が高かった。かろうじてバスが通っていたが、自分はほとんど利用することはなかったので、まともに路線バスを利用するのはそれが初めてでかなりの不安が募ったものだった。

しかし、それでも割と難なく到着し、ようやくお互いに会う事が出来た。快く家に招いてくれたものの、やはりNYCと言う土地柄か、家は一戸建てでこそあるものの、広さはそう日本とは変わらないぐらいだった。その一角がブルース・リーグッズで埋め尽くされ、かつてNHK-BSが放送した日本語のドキュメントを見つつ、ブルース・リー談議に花を咲かせた。

これまで香港には11回以上渡っているが、正直外国人の方とブルース・リートークで熱くなった事は一度もなかった。それがいま、日本から1万キロも離れている場所で、生まれた場所も年齢も国籍も異なる二人が同じ時間を共にしている。もちろん、きっかけはブルース・リーだ。ありがたい事に、彼も含めてフェイスブックでは50人以上の、世界中のブルース・リーファンとフレンドとなっている。もしブルース・リーが居なければ、そしてもしブルース・リーの映画を一度も見ていなければ、まず間違いなく上記の出会いもないし、国際交流自体しようとも思わなかったかも知れない。間違いなく、ブルース・リーによって自分の人生は変えられた事を、この機会を持って改めて実感させられた。

毎回1週間程度の滞在である香港・台湾ですら、誰かしらと会っている、しかもほとんどが女性という事を考えたら、3ヶ月の滞在でありながらこれだけしか機会を得られなかったのはやはり残念であったと言わざるを得ないのかも知れない。まあ、職場でもシェアハウスでもフラストレーション溜まりまくりだったので、性格的に休みは一人になる事を選んでいったのはやむを得ないのかも知れないけど、やはり海外でも寂しさを紛らわせてくれるのは人しかいないので、出会いと言うのは常に大事にすべきものなのだな、と実感させられた3ヶ月でした。