前回も触れたよう、重慶に集う人たちは旅人はもちろん、住人ですらも中近東やインド辺りからやってきたエスニックな方々ばかりだ。当然、母語もバラバラ、そこでどうやってコミュニケーションを図ると言ったら、当然英語1択となる。自分が何故香港を好み、わざわざ毎回のように重慶に泊まるのか、と言う大きな理由がまさにそれだ。母語が異なる者同士、果たしてどのように交流すればいいのか。もちろん、答えに時間は要さない。言うまでもなく、英語しかない。つまり、嫌でも英語=Universal Language=共通語と言う認識を植えつけられる事となる。この感覚は、正直日本に居る限りなかなか身に付くものではないし、意識もしない。それを、改めて肌で実感するために、わざわざ年に2回香港に向かう、と言っても大袈裟ではないほど、私にとっては重要な瞬間だ。
しかし、重慶大廈はあくまで特殊な場所。下層に位置するお店を除き、ほとんどの香港人は用がない場所だ。では、普段の街歩きにおいて、英語はどのぐらい通用するのか。これもぐぐれば色々出てくるが、通用する、しないで結構意見が分かれているため、正直イメージはし辛いだろう。もちろん、今でも公用語としての位置付けなので、多くの人は通用するイメージの方が強いかもしれない。とりあえず、人生において半年を香港で過ごしてきた私の意見としては、「日本人が観光で赴く場所であれば、ほぼ間違いなく通用する」が結論だ。
しかし、観光業が多くの産業を占める香港ではあるものの、意外と見るべき場所はさほど多くはない。私のように香港マニアの領域まで行けば別だが、おそらく国際交流に無関心、出来ない多くの日本人にしてみれば、ピークトラムに乗り、山頂で夜景見て、香港島のトラムにも乗って、スターフェリーに乗って、女人街で買い物して、あとは美味い広東料理を食べておしまい、な感じだろう。つまり、ほとんどが尖沙咀と香港島の北部で物事は済んでしまうため、ランタオ島を除き新界に足を伸ばす事もない。そして、もちろん前者は香港の中心街だ、当然、英語の通用度も高い。観光客が足を伸ばす場所であれば、マクドナルドもKFCも、そしてセブンイレブンもほぼ英語だけで通用すると言っていい。つまり、一般的な観光目的であれば、英語はかなり通じる印象を受けるだろう。
それでも、英語で道を尋ねたら、通じなかった、と言う意見も良く目にしたりはする。しかし、公用語であれ母国語ではないため、特に高齢者を中心として広東語しか話せない人はまだまだ多い。また、返還後では普通話教育への力も入れているため、若者の英語力も落ちている、と言う記事も多く目にする。しかし、返還後18年経った今となっても、英語力は良い職を得るために欠かせない。言ってみれば、英語が出来なければ、職業の選択は大幅に制限されてしまう。いまだそんな状況だから、ガードマンなど優れた英語力が不要な人たちに英語で話しかけても、通じない事が多いのはやむを得ない事なのかも知れない。ただ、先述の理由も含めて、ちょっと話しかけて通じなかったから、香港は英語が通じない、と考えるのは早計だ。国際都市を名乗る香港、中心街には様々な人種の人たちが居るし、そういう人たちも普通に香港人と混じって買い物をし、食事をしている。当然、人種間のコミュニケーションを補うのは英語しかないため、総合的に見れば、まだまだ香港の英語通用度は東京とは比較にならないぐらい高いと言っていい。
しかし、それもあくまで中心街、観光地でのお話。新界北部の移民が多いとされる街で出てしまえば、英語の通用度は一気に低くなる。過去、3週間ほどYuen Longに住んでいた事があるのだけれども、セブンイレブンやマクドナルドでさえ英語が通じずに困った事も一度ではない。一度、後者で注文をした時は、店員のおばさんが全く英語が分らず、マネージャーが対応してくれたほどだった。
もちろん、英語は公用語であるため、パブリックな表記やファストフードのメニューも、必ず中英バイリンガルとなっている。しかし、憲法上では同列とは言いながらも、見た目的には圧倒的に中国語の占める割合が多い。まあ漢字は複雑なので、多少文字が大きくなるのは仕方ないのだけれども、それにしてもマックなどの英語表記は小さすぎるし、分り辛い。これではおばさん連中らが英語メニューを理解していないのも仕方ないのかも知れない。
その英語が同じ公用語でありながらも、中国語との扱いの差に大きな差がある、と言うのはメディアも気にしているようであり、この前も購読しているSouth China Morning Postも、記者会見での英語会見が少なすぎるとの記事を配信していた。内容はそのものなのだけれども、これだけでも、少なくとも英語に関しては日本とはまるで違うベクトルを向いているな、と言う事を即座に理解出来たものだ。公用語ではないとは言え、どこの日本のメディアが、政府の英語会見がない事に不満を抱くだろうか?そんなの誰も期待してないどころか、最初っから頭に存在しないし、外国メディアも日本人に対してそんな期待はしてないだろう。よって、外国向けは全て通訳が処理しているのが日本の実情だ。
しかし、香港はそうではない。東洋と西洋の出会いの場、様々な人種が訪れる香港において、共通語としての英語の存在は圧倒的だ。当然、非中国系のメディアが広東語を理解出来るはずもないので、やはりオフィシャルな場での英語会見は欠かせない。しかし、それが全体の3割ぐらいしか行われてないとなると、当然記者間の不満も募る。先述の繰り返しになるが、この記事を初めて目にした時は、未だに学校教育レベルでの議論が進まない日本との次元の違いに、愕然、そして当面、少なくとも語学においては香港には数十年レベルで追い付けない、と確信したものだった。
少々話が飛んだが、結論で言うと比率で言えば通じない場所も多いものの、普通に観光をするレベルであれば英語だけで十分、と言う感じだろう。新界などでも、サービス業に従事する人たちは商品説明にまるで困らないぐらいの英語は普通に話すし、博物館などでもいわずもがな、だ。ただ、それでも欧米人に比べると面倒な場に出くわす事も多いかもしれない。何故か、それはほぼどんな場所において、日本人は広東語で話しかけられるからだ。もちろん、気付けば英語、もしくは立ち去ってはくれるのだが、一旦ガーッと話された後に、「I can't speak Cantonese」と言うのは結構躊躇してしまうものだ。まあ、その意味の広東語ぐらいは予習しておいた方が良いのかも知れない。