英語との出会いと学習 | ONCE IN A LIFETIME

ONCE IN A LIFETIME

フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

自分が初めて覚えた英単語は、小さい頃に祖父に教えてもらった
「Thank you very much」だったと思う。

もちろんカタカナ的発音だったんだけども、
とにかくそれが自分にとって生まれて初めての英単語だった訳だ。

それ以降は、日本人が日常使う英語、
つまりほぼ日本語と化しているような単語ばかりだったと思うんだけども、
8歳の時に初めて見た全日本プロレスの試合をきっかけとして、
以降半年ぐらいに渡り、
親の買い物について行く度にプロレスの本も同時にねだっていき、
そこから色々な知識を得ていった。

当然プロレスはアメリカで生まれたものだから、
技名などもそのままカタカナとして使われており、
そこからも様々な英単語を覚えて行く事が出来た。

が、当然「その名称そのものが技そのものを表している」としか
解釈出来なかったので、エルボーやレッグが、
そのまま体の一部の単語だと言うのを知ったのは相当後の事だった。

また、当時の自分は、
当時テレビ東京で放映していた「世界のプロレス」などの影響で、
ルチャ・リブレ、いわゆるメキシカンプロレスの大ファンになっており、
英単語だけでなく数々のスペイン語までも覚えて言ったものだった。

しかし、当然技名のみ、つまり名詞のみしか知る由がなく、
動詞や形容詞などは一切知る由もなかったので、
話したりセンテンスを作る事などは一切出来ませんでしたけども、
それでも小2でそんな単語覚えているなんて変わっていたな、と改めて思う。

そんな感じで、少なからず小学生の時点で、
外来語の影響は受けてはいたんだけども、
大多数の子供と同じように漢字を覚えるだけで精一杯、
英語を話してみたい、何て露にも思う事はなかったのです。

と言う訳で、自分も本格的に英語を学び始めたのは、
中学生になってからだった。

1学期は無難にこなせていったんだけども、
日本語とは語順が違う、逆から訳していく、と言う部分につまずいてしまい、
2学期からは成績が急落、
以降進級するまで半分前後しか点数は取れておらず、
当然通信簿も良くはなかった。

それは2年生になっても変わらなかったんだけども、
中間テストを返してもらった時に、
「このままじゃやばいよ」と言われ、
それが最初の大きなターニングポイントになっていったと思う。

それから主に英単語集などを使い猛勉強を始め、
ようやく語順を逆にすると言う訳し方に気付いた事もあり、
おかげで期末では10点以上も上乗せする事が出来た。

それで返してもらった時に凄い褒められた事もあり、
ますます英語の勉強にのめりこみ始め、
以降卒業まで英語だけはクラスでもトップクラスの成績であり続けたと思う。

その時に習っていたのは、比較級の初歩だったんだけども、
そのおかげで今でもそれを解説しているページなどを読んでいくと、
当時の事が蘇ってくるものです。

それは高校に入学してからも変わらず、
特に入学してすぐに行われた、
公立一貫の実力テストでは95点をマークし、
そのおかげで3教科の合計でも学年で約450人中84位に入れたものだった。

その後、高校生活のつまらなさと比例し、
自分の成績も順調に下降していったものの、
それでもとりえあず英語だけは人並み程度だったとは思う。

しかし、高校で何を学んだかなどは今ではほとんど覚えおらず、
仮定法とか完了形とか、各種助動詞の使い方なども、
おそらく理解出来ていなかったと思うから、
よって中学生の頃と比べれば明らかにモチベーションは落ちて言ったものだ。

この頃、すでに「他人と被るのは嫌」と言う、
天邪鬼な性格が確立し始めており、
高校に嫌気が差していた事なども多いのだと思うんだけども、
一番はやはり学校英語を続けているだけでは、
決して英語を話せるようにはなれない、と言う事に気付いてしまったのだと思う。

大多数の日本人が最低でも6年間は勉強する、
しかしほとんどの人が簡単なコミュニケーションもとる事は出来ない、
じゃあ学校の英語って一体何なんだ?と思ってしまっては、
そりゃあ語学へのモチベーションなんて上がるはずもないでしょう。

まあだからと言って、
本当に話せるような勉強をしたい、とも思わなかったので、
それは高校卒業してしばらくは変わる事はなく、
普通の日本人と同程度、もしくはちょっと下かも知れない、その程度のものだったのです。