回想17・Daniel | ONCE IN A LIFETIME

ONCE IN A LIFETIME

フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

ルームメイトがいない場合、
友達を作る一番のきっかけはやはりグループクラスだ。

しかし俺の場合、
グラマーは世代が合わず、
スピーキングは女性ばかりでさらに休みだちだったため、
正直話し相手になる、と言うまではいかなかった。

そのせいもあってしばらく寂しかったんだけども、
同期のDanielと言う韓国人男性が顔を会わせる度に、
フレンドリーに挨拶してきてくれて、
段々俺も彼を気にかけるようになってきた。

そして当時も書いたよう、
ある日の夕食後に2時間ぐらい話す機会を得て、
それ以来ずっと時間があれば二人で話すようになっていった。

正直今思えば、俺云々と言うよりも、
彼は非常に英語に対して積極的であり、
とにかく英語で話せる機会を探していたんだと思う。

しかし、他の日本人3人のレベルは会話レベルまでいけてなかったし、
同期で最初からまともにコミュニケーションを取れるのは俺しかなかった、
そういう意味で最初から俺に対して積極的だったのだと思う。

ただ理由はどうであれ、
とにかく英語での話し相手が欲しかったのは俺も一緒だったし、
ここに来て初めて授業以外でまともに話せたのもその時が最初だったから、
彼と知り合いになれたのは本当に嬉しかったものだ。

ただ、当時の俺はまだまだボキャブラリーも文法力もなく、
仮定法やshould have beenなど一連の助動詞の用法もままならなかったため、
自分の言いたい事がまるで伝えられなかった事もざらだった。

この辺りは英検2級レベルのSide by Sideを使い、
すでに勉強済みだったはずなんだけども、
やはり英語だけの解説では100%意味が理解出来なかったためか、
結局使いこなせるようになったのは帰国してしばらく経っての事だった。

それでもお互い野球や格闘技に詳しかったおかげで、
そんな乏しい会話力であっても2時間話を持たせる事が出来た。

今もそれなりに居るけども、
中日がソン・ドンヨルを獲得して以降、
結構なコリアンの一流選手が来日するようになり、
俺も大体の名前は知っていたものだから、
名前を出す度に驚かれたのは嬉しいものだった。

その時点でフィリピンに来て10日目ぐらい、
生活にもすっかり慣れて日本を思い出す事はほぼなくなり、
以降全く帰りたい、と思う事はなかったように思えます。