前回書いたよう、1週目はフリークラスがなく、
全ての授業が午後5時に終了していたので、
あとは寝るまで完全に自由時間だった。
この時点でバッチメイト以外にも数人日本人はいたんだけど、
正直お互いに何の会話もなかったし、
ユキさんからも挨拶の機会などももらえなかったので、
後に話すようになる年配の方以外は全く交流がないままだった。
まあもっとも俺自身、
この時点で全く日本人と交流するつもりはなかったし、
ユキさんから「Kさんと話してはどうですか?」とも言われたんだけども、
向こうも限りなく無愛想な感じだったので、
無理してそうする必要もないと思いそのままだった。
食事の時に聞こえる言語も韓国語ばっかりだったし、
授業以外ではホント「俺って韓国に来たのか?」と言う
錯覚に陥るばっかりだったから、
この辺りは「もうちょっとグローバルな学校にすべきだったかなぁ」と
真剣に悩んだり、また少し後悔もしてしまったものだ。
まあセブと言う選択肢を選んだ時点で、
それはほぼ不可能、
あったとしても周りは日本人ばっかり、と言う可能性が高いのだから、
ぶっちゃけ無理な願望だったんですけどね、
でも正直、もう少し台湾人が居れば、とは思ったよね。
実はこの時点で後に親しくなる、
Kennyと言うTaiwaneseがいたんだけども、
クラスは違うし知り合うきっかけもなかったので、
しばらく話せずじまいだった。
何で、午後5時以降からは限りなく暇だったため、
夕食時まで何度か敷地内にあるジムに通ったりもした。
この3ヶ月で体のオーバーホールをし、
「痩せる」と言う意味も含まれていたりしていたから、
以降1日おきぐらいに通う事になっていくのです。
あと、昼間洗濯をしたりする、と前回書いたけども、
その最中に後に親友となるダニエルと結構顔を合わしたりもしていた。
まだこの時はじっくり話す機会もなかったんだけど、
今思えば向こうも一人部屋だったし、
本当英語で話せる相手を探していたんだろうな、と思う。
他の3人はあまり話せていなかったし、
そうなると必然的に俺しか居ない、と言う事になったんだけどね、
でもその時はそんな事露知らず、
結局その週は誰ともほとんど話す機会もなかった。
アヤラで一緒だったAvenueともカフェで挨拶する程度で、
まともに話す機会はほとんどなかった。
まあいつも煙草吸っていたから、
どうにも近寄りがたい、と言うのも大きかったんだけどね、
まあそんな感じで1週目は交流らしい交流はほとんどなかったように思う。
だから週末とか暇でどうしようもなく、
ネットか昼寝か自習しかやる事ないから、
しばらくは休みが来るのが本当嫌だった、そんな感じだったね。