三沢への思い | ONCE IN A LIFETIME

ONCE IN A LIFETIME

フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

ちょうど1年前、俺は三沢光晴に最後のお別れをするため、
ディファ有明に出向いていた。

その三沢が95年の4月のある試合の後に残した言葉がある。

"今は、今しかないから。例え次に同じような状況が来ても、
それは今じゃないんだよ"

確かに俺はその試合を
テレビでも雑誌でも見ているはずなんだけども、
何故だか俺には記憶がない。

でもとにかく俺は今出来る事を次がある、
次がある、と先延ばしばかりしてきた人間だったから、
何でその時知らなかったのだろう、と後悔したし、
実際に知ってからはよりその「今と言う瞬間」を大切にするようになった。

実は留学前にも「今しかない」と言う
ある決断を迫られた瞬間があったんだけども、
その言葉を知らなかったら多分逃げていた。

だから今の俺にはとても大切な言葉なんだけど、
そんな三沢は「今しか出来ない」試合を常に提供してきたからこそ、
ああいう最期を迎えてしまったのかな、と思うとなんとも言葉がない。

俺が子供の頃スター選手だった、
原辰徳や渡辺久信は元気で監督をしているというのに、
同時期に活躍していた全日本プロレスの主力レスラーの大半は、
どうしてかもうこの世には存在してくれない。

馬場が現役の時はいつももうそろそろいいじゃないか、
と思っていたのに、死去の速報が流れた瞬間から、
しばらく動悸が収まらずしばらくベッドでうずくまり、
追悼の映像や雑誌を見るたびに涙がこぼれた。

橋本真也の時も大したファンでもなかったのに、
わざわざ告別式まで行ったし、
(その時3年後に同僚になるある人物がいた事を…
当時はもちろん知らない)
三沢の時も馬場と同じような状況になり、
翌日11時インと早かったのにも関わらず、
動悸が収まらず朝4時ぐらいまで眠れなかった。

今だから言えるが、
皆の前では明るく振りまっていたものの、
ひとりでOPをしていた時は今にも涙が出そうな精神状態だった。

馬場や橋本と比べると
一般的知名度はそんなに高くなかったはずなのに、
一般メディアの報道量は俺の予想を遥かに超えていた。

おそらく当時三沢に魅せられた男たちが
今現場を取り仕切る立場になり、
「あなたたちは知らないかもしれないが、
世の中にはこんなに凄い男がいたんですよ」
と言う事を世間に知らしめようとしている、少なくとも俺にはそう感じた。

もちろん死んでからでは何もかも遅いんだが…
でもそれは彼らにも一致した思いだろう。

そしてあの鶴田に初勝利した1990年からはや20年、
と言うことはその頃生まれた人は来年成人式を迎える訳だ。

その若さを羨ましく思う事もあるし、
その子らが中学、高校生だった頃は
また別の楽しみがあったとは思うんだけども、
それでもあの時代を体感していないのなら…
リアルタイムで体感している自分の方が間違いなく幸せだ。断言できる。