バナナアレルギー

★ そんな人 いらっしゃるの、ね。いたわしや。

牛乳アレルギーで胃ごろごろ、だとか、
ニッケル・銀 なんかの金属アレルギー(結婚指輪 はめれない)、
マニュキアアレルギー だとか、ね。

命に関わるアレルギーで有名なのは、杉花粉、か。

それにしても、甘くおいしく、食物繊維が多く(故に消化は悪い)、
やせる目的の食品としては、最高の部類。 これ、食えないなんて、
かわいそう。

歯が丈夫であれば、同じ目的の食品としては、当たり目 があります。
匂いが気になる人もいるが、小さいのを毎朝、1枚 食って みられたし。
焦げ目程度に焼けば、甘くなります、よ。
元本があるとは言え、コピーしている分けではないので、
なかなか、しんどい作業ではあるけれど。さて、二月15日は
聖クロード・コロンビエール司祭の話。 1641-1681

今年五月三十一日に、ヨハネ・パウロ二世教皇は、イエズス会司祭
クロード・ラ・コロンビエールを聖人の列に加えてくださいます。
一九二九年にピオ十一世教皇によって福音の列に加えられた
彼が列聖されることを、イエズス会が特に熱烈に望んでいたのです。
というのは、イエズス会の宝であるイエズスのも心の信心と
コロンビエールとの間には密接な関係が存在するからです。
コロンビエールは一六四一年にフランスのリヨン村付近に生まれ、
イエズス会の学校で学び、十七歳の若さで同会に入会しました

(C)

http://www.jesuits-japan.org/static.php?page=3dCollombiere



フランス南東部、弁護士の家に誕生。三男である。
総勢何人の子がいたかは定かではないが、一人を
除いて、聖職者を目指したそうだ。日本でも、福江なんかで
見かける光景。信心の篤い家庭ではよくあること。

彼は、イエズス会の学校に入学したが、教師の態度や
行いには認めていた物の、自身が修道士になることには
反発していた。周りの兄弟たちの身振り手振りを見続けて
いれば、窮屈だと感じるのも、無理はない。聖職者諸君らは
それ自体自由と感じているのだが。「神に仕えることは、いつ
でも大きな犠牲を伴う」ことを知るには、時間が必要だった。
少なくとも、16年間は哲学・神学 などを履修。イエズス会
で言う第三修練まで進んだ。言うならば、最終請願を目指す
時期。心的にイエスと結婚する決意を言う。

最終請願の許可も出ないうちに、彼はバレー・ル・モ二アル町の
イエズス会、ここの修道院長として任命。おもに教育・修道士
として働くためである。ここで、ささやかな女子との友情が
芽生える。聖マルガリータ・マリア・アラコックが、兄妹修道会
である訪問会修道院に住んでいて、指導者を求めていた
からである。友情は一年ほど続いた。二人に取って、信心的
深さを持った、祝福の経験と言えた。

さて、任務が来た。反カトリック国であったイギリス、つまり国教会。
ここの王子の后がカトリックなので、その世話と信仰教育をする為に
司祭として派遣されたのである。豪華な城の中で、火もない貧しい
生活をすることは、体に答える。石の城。自分のストーブに一度も
薪を入れないと言う徹底した物。雪は降る。ロンドンは寒い。
二年間は、后の指導をしつつ、迫害されていた信徒を励まし、
信心から離れていた人たちを群れに戻したりもした。

そこに、冤罪が発生。誰かが政府に、カトリック信徒が王を殺そうと
企てていると進言。11人の司祭が絞首刑。2ー3000人の信徒は
投獄された。クロードも陰謀の加担者として逮捕される。しかし、
具体的な証拠は出なかった。カトリックに改宗させようと導いた罪を
でっちあげて、一ヶ月、牢屋に監禁したのでありました。
食べ物はほとんど与えなかったので、血を吐く始末である。
外国・国籍の者を、かつ・后の教育司祭でもある。牢死を恐れた
政府は、外国追放とした。

フランスに帰国。病は癒されず。心配したマルガリータは「神父さまに
とって一番有益なことは、神のみ旨に従うこと」と、暖かい手紙を
送ったのでありました。 張り扇 パンパン。

使徒的な情熱は燃え盛っていたけれど、健康と命を、
神に捧げる日がやって来てしまった。享年41歳。
彼はそんなに目立つ司祭ではなかったけれども、数・多くの
書簡を残している。

冒頭・ イエズス会・日本管区の文章で、今年とは???
いつ、日本管区が当該書簡を出したのかは定かではない。
しかし、聖人として列せられたのは、比較的新しい。

過去の事件を  if then elese してはならいが、
もし、1600年代、国教会とカトリックが友情関係にあったならば、
彼は殺されずにすんだのかも知れない。
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★ あこがれの「豚」になったのは、これまで、たったの二回目。
この数値、続かねぇだろな。  すなおに、よろこんで、おくか?????

★ 良いのか、そうでないのかは 分からないが、
宗教関係者の比率が、次第に下がっているみたいな気がする。
もちろん、関係者票、そのものも、実数は上がっているのですが???
今日は聖クロード・コロンビエール司祭を書きます。
それ、以外では、しつこく、モルダウ演奏を続けることと します。

信心と言う点では時々、自分の嘘に、あきあきして、
神と自分 の 関係は、しっかりしています、よ。

で、あえて、自分らしく、下話を入れてみると、
男たち、レスが来たりして。Res が欲しい著作には
まず、来ないな。 

★ 男とは下話が好きである と、言うのはこれは、ステレオ。
下話した後、自分自身の、信心の嘘を書いたら、一人の友、
無くしてしまった。ま、それも良いかな。

要するに、神様に対して、自分らしく、男らしく、あれば良いと
考えている、もう一人の、自分がいて、バランス取れている。
癲癇剤・欝剤・眠剤  また、増えている。 コイノニア!!!!!!!
精神医との情報の共有と、薬のさじ加減。 イエス様とも、
たぶん、同じかな????
眠れない  0141 一時起床

信心しなきゃと思いながら、習慣で、祈りしている
自分に、あきあき。 それゃ、ロザリオ、手汗、男油で腐るわな。

★ また、四旬節 決まりごとは きちんと やるだろな、
俺の事だから。けど、それで 神様はよし と するだろうか???
俺は男だ。俺は男に生まれてよかった。

しかし、音楽系デザイン、すなわち、女のスキンデザインが好きなのだ。
無理する、必要 まるで、なし。 元のデザインに戻す
二月14日 聖チリロ隠世修道者と聖メトジオ司教 記念

チリロ   827-869
メトジオ  815-885

★ 地球には現在、2500言語があるそうだ。そのうち、280
ぐらいの言語にしか、文字体系は存在しない。白人・特にドイツ人
気質の人たちは、伝承文学の言語を、野蛮人と断定する癖が
あって、民族発祥の歴史が浅い癖に何を差別してんだ、とは
大和系日本人の台詞。 漢字体系を中国人種からいただき、
いろは歌で示せる、かな(和歌)を発明。少なくとも文献的には
文字無し伝承文学の歴史も含めて日本は2000年。
ドイツ人ごとき、若い文化に、差別されてタマルかよ。 
この文は、ドイツ系民族を逆差別しているのではなく、
ギリシャ正教とバチカンが分裂する
以前、東西が兄弟としての交わりをしていた頃の、大切な
宣教に繋がる、枕言葉、です。

彼ら兄弟は、スラブ民族の使徒として活躍した。二人は
テサロニケ(東ローマ)で貴族として誕生。弟チリロは、
コンスタンチノーブルの大学で哲学教師となり、兄メトジオは
父親の仕事を継承。アルバニアの総督として就任した。
今で言う知事さんか。

チリロは二十歳で司祭・叙階を受けた。兄はその六年後
総督を辞して、修道院に入会した。コンスタンチノーブル
のキリスト教に大に貢献したのでした。その功績を称えられ、
コンスタンチノーブルの総督から、また教会の使者として
ロシア南部に、宣教師として送られたのでありました。
それも成功して、ふるさとに帰還した。が、二人が設立した
教会群は破壊されており、地方の領主は信仰を捨てて
いたのであります。

神はその町の再宣教ではなく、チェコスロバキアの宣教を
コンスタンチノーブルの皇帝を経由して命じてきたのである。
当時のスラブ人は文字を持たず、伝承文学の人種。
さて、どうする。日本では唐の僧が漢字体系を、
大和系日本人に伝えたのだけど、この二人は、スラブ人の
言葉を話せたので、スラブ語の発音に近い、特殊な
アルファベットを発明。聖書と典礼の本を書き上げた。
この文字での聖書は、今のロシアでも販売されている。

スラブ人に対しては、スラブ語で。すなわち、現地語で
イエス様を伝える。今で言う、第二バチカン公会議の、
現地語主義の奔りです、ね。現在はラテン語が正規の
ミサ語であり、現地主義を取る目的で、現地の国語で
ミサをやりなさい、が、勅令。昔は、ヘブル語・ギリシャ語・
ラテン語の いずれかでしか、ミサをやってはならないと言う勅令
でした。チリロは司教ではないが司祭(神父)、彼の教会では
スラブ語でミサを行った。 その村の多くの教会では、スラブ語
でミサを立てることが出来ず、二人はローマの教皇に、
許可を求めに行こうとした。当時の教皇は二人の方針を
高く買っていたからである。当該・村の司教、そしてその配下の
司祭はドイツ人系であり、二人の行動を苦々しく
思っていた。 さて。

教皇は二人に、スラブ語でミサを立てて良いと言う勅令を
出した。チリロは理由は分かりませんが、ローマで客死。兄・
メトジオは司教・司祭 同時に叙階した。故に、彼の弟子は
司祭に叙階された。彼らは故郷に凱旋。宣教活動をした。
そこで、平和になれば、1小説で終わる。

その町で戦争が始まり、司教たちを保護していた領主が
目をえぐられて敗戦。敵方は、司教たちと教皇との手紙を検閲。
正しい情報が教皇に伝わらないままに、3年間、牢獄に
繋がれたのでありました。
絶え間なく続く、戦と迫害にて、それでも12年間、懸命に
働いた。 そして、70歳にて帰天したのでありました。

老若男女・金持ちも貧乏人も、外国人もかの国の人民も。
司教を慕う 人たちに、溢れた、大葬儀であったと言う。
正教会とカトリック 共通の聖人として、今に至る。


http://ameblo.jp/samsecurity/
(C) 引用

クリスチャンが運営しているウエブサイトで、気になることがある。
実はわたしも今まで、「ものみのうた」というサイトを持ってきたのだが。
どのサイトにも決まって書き加えられている共通の文言に、こういうのがある。
それは「当サイトは、正統的なキリスト教(または教会、教会のクリスチャン、など)であり、
ものみの塔、エホバの証人、世界基督教統一神霊協会、末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)などとはいっさい関係ありません。(ある場合には、これらの団体に関係のある方の入場をお断りします)」
などという内容だ。
実は、最近はこの内容にいささか考えるところがないでもない。
この文言は、ひょっとしたら主が招いておられるひとに背を向けていることになりはしないか?
ということだ。
神が招いておられるのに、彼が今まで属していた団体がどうだから、といって、その魂を拒むなどと
いうことにならないと、誓っていえるのか?

★ ひょっとしたら主が招いておられるひとに背を向けていることになりはしないか?
と言う問いに関して、カトリックの側は、統一的な見解は出されていない。
私個人は、 等・筆者さまの論は理解できる。

しかし、ながら、異端に犯された人は、洗脳と言って、海馬を中心にして
脳・基幹細胞が、壊れている。 例えばミサに預かる場合、立ったり・座ったり
する場合、律法的にではなく、聖書的に意味がある。また、聖歌・賛美歌を
歌う箇所も、意味がある。 従ってくれるだけの、理解できるだけの、頭脳を
持っていない。 それは、所謂(いわゆる)精神・疾患 患者をして、排除するもの
では決して、ありません。精神疾患の方々は、第一コリントの12章28節、
異言の賜物をしばしば持っておられるので、彼らから学ぶことは有意義です。
人工的に、破壊された神経細胞群は、治りが遅いだけでなく、分派活動を
必ず、起こすのです。

プロテスタントの杉本牧師を中心として、カトリックの位階者も参加して、
世界基督教統一神霊協会に犯された、異端者から、洗脳を抜く
仕事をした歴史があります。聖書を曲げて、かつ、詳しい。 イエス様がおっしゃっている
聖書で語られている、「愛」が、くだんの、獣には、入っていかないのです。

しかたなく、プロテスタントの、とある教団では、
そのように、書くしか、ないのではないか? と  残念だけど、
私は感じています。
神様との約束は しないが 望ましい
聖人伝 昨日は書けなかった