http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BC8%E4%B8%96_(%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E7%8E%8B)
(C)
ヘンリー8世はルターの宗教改革を批判する「七秘蹟の擁護」を著した功で、
教皇レオ10世から「信仰の擁護者」(Defender of the Faith)の
称号を授かるほどの熱心なカトリック信者であった。しかし、
キャサリン・オブ・アラゴンとの離婚およびアン・ブーリンとの
再婚を巡る問題から教皇クレメンス7世と対立した。
側近であるトマス・クロムウェルの補佐を受け、1533年には
上告禁止法を発布し、イングランドは「帝国」であると宣言し、
クレメンス7世に破門された。1534年には国王至上法
(首長令)を発布し、自らをイングランド国教会の長と
するとともに、ローマ・カトリック教会から離脱した。
ちなみに「信仰の擁護者」の称号は、国教会の
成立後もヘンリー8世とその後継者に代々用いられ、
現イギリス女王エリザベス2世の称号の一つにもなっている。
妃やトマス・モアをはじめとする側近を次々と離別・処刑し、
カトリック修道院の財産を没収するなど苛烈な
人物であったが、イングランド王室の権威確立に寄与した。
★ プロテスタント各派の、宗教構造が、正しいかどうかを
論ずるのではなく、少なくとも、ルター神父様 みたいに、
理理整然と、バチカンの狂った点を、抵抗(プロテスタント)する。
これぐらいの意気込みがあって、抵抗者であると、しかるべく。
ヘンリー王は 王として、だらしがない。
(C)
ヘンリー8世はルターの宗教改革を批判する「七秘蹟の擁護」を著した功で、
教皇レオ10世から「信仰の擁護者」(Defender of the Faith)の
称号を授かるほどの熱心なカトリック信者であった。しかし、
キャサリン・オブ・アラゴンとの離婚およびアン・ブーリンとの
再婚を巡る問題から教皇クレメンス7世と対立した。
側近であるトマス・クロムウェルの補佐を受け、1533年には
上告禁止法を発布し、イングランドは「帝国」であると宣言し、
クレメンス7世に破門された。1534年には国王至上法
(首長令)を発布し、自らをイングランド国教会の長と
するとともに、ローマ・カトリック教会から離脱した。
ちなみに「信仰の擁護者」の称号は、国教会の
成立後もヘンリー8世とその後継者に代々用いられ、
現イギリス女王エリザベス2世の称号の一つにもなっている。
妃やトマス・モアをはじめとする側近を次々と離別・処刑し、
カトリック修道院の財産を没収するなど苛烈な
人物であったが、イングランド王室の権威確立に寄与した。
★ プロテスタント各派の、宗教構造が、正しいかどうかを
論ずるのではなく、少なくとも、ルター神父様 みたいに、
理理整然と、バチカンの狂った点を、抵抗(プロテスタント)する。
これぐらいの意気込みがあって、抵抗者であると、しかるべく。
ヘンリー王は 王として、だらしがない。