あれから・・・ | わたしとランと

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2006年より走り始めランニングをライフワークにするはずが、2013年から体調崩し、2015年3月に関節リウマチの診断おりる。6月〜9月中旬まで3ヶ月休職。復帰へむけて一歩ずつ・・・

沢登りから無事、温泉宿に帰ってきた。



Rちゃんは、仕事があるため、朝の電車で東京に帰っていたけれど、その間も何度か山岳警備隊や宿に電話したらしい。そして、無事を確認してくれていた。



宿について、前日分のキャンセル料を払おうとしたら、食事の準備もしてたはずなのに、「無事かえってきてくれただけで結構です」といって、お金をとられなかった。



また、お風呂に入りたい私たちに、日帰り入浴の割引券までくれた。泊まらなかったから客でもないのに、すごく親切にしていただいた。





帰りの車で、携帯の電波がはいったところで、Rちゃんに電話すると、無事をすごく喜んでくれた。練馬でおろしてもらい、そこから彼と一緒に帰った。まだ実感がなかったけど、すべて、終了したんだなって思った。



その後、いろんな人にあって、わたしの顔がヒドいので「どーしたの?」ってきかれたし、ラジオの収録もひとつ休んだので、事情を説明した。



でも、一番話したい人には、なかなか話す機会がなかった。



けっきょくわたしが、Rちゃんに会ったのは、それから3日後のきょう。



ランチの約束をしたのだ。Rちゃんにも同じように事情を説明するんだろーなーと思ったけど、レストランに座ってる彼女をみたときに、ぐっとこみあげてきてしまった。



リアルに思い出したのだ。温泉宿で笑顔で見送ってくれた彼女のこと。



Rちゃんに会いたいなーと思いながら、歩いたけど、結局帰れなくて、山の中ビバークしたことを。不安でいっぱいだったことを。



「会いたかったんだよー、すごく」と言葉にしたら、心のやわらかい部分が反応しちゃって、涙もでてきてしまった。



Rちゃんのお父さんの隊長と、だんなさんの玄ちゃんの話をして、わらって、またちょっと泣いて、ごはんを食べた。



Rちゃんとご飯を食べるのは、2日前のわたしの一番の夢だった。



「生きててよかったね」といわれた。



待つほうも苦しかったらしく、「自分も、こうやって親に心配かけたりしたんだろうなぁ」と話していた。



そして、わたしの顔をみて、ボツボツだらけなのに、「いい顔になったね」といってくれた。いい顔なもんかっ!